| 「もったいない(勿体無い)」 |
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「もったいない」とは、日本固有の生活文化、日本人の心・生き方そのものです。
日本人は、古来より、自然を畏敬し、隣人や生活地域を思いやり、ものを大切にするといった「もったいない」という生活の「知恵」を実践し、心豊かに生きてきました。
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(”勿体無いの哲学” より)
「あーもったいない」と私たちは日ごろ口にします。
この勿体無いという感覚は欧米人にはないそうです。
古来日本では使い捨てという価値観はなく、米を収穫した後のワラを縄や袋、履物や衣服として活かし、着られなくなった着物を布団としてまた命を吹き込んできました。
日本には「八百万(やおよろず)の神」という言葉があります。
動物でも、植物でも、山でも石でも、家でも何もかもに命が宿り、神様がいるという考え方です。
あるモノがそのモノとして使えなくなったといって、命のある「それ」を勿体無くて捨てられないという感覚は日本人なら自然と湧き上がる感覚なのです。
だから、使えなくなったものでも形を変えて活かすことができればそうすることが当たり前で、捨てても勿体無くないというところまで使ってから捨てるという暮らしが当たり前だったのです。
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(”HST WORLD FORUM” より)
“勿体無い”
子供の頃によく耳にしたけれど最近はあまり聞かない、という言葉がある。
時代の変化と共に使用されなくなり、やがて死語となって辞書から消えていく言葉である。
言葉は時の変化、生活様式の変化に応じて変っていくものであり、多くの人が使う標準語として新しい言葉が定着していくことは積極的に評価してよいと思うが、中には日本人の良い伝統として残しておきたい言葉もある。
そうした言葉のひとつに“勿体無い”がある。
現在50歳以上の日本人の多くは、子供の頃、食べ物を残して、或いは、短くなって使い難い鉛筆を捨てた時、母親に叱られた記憶を持っていると思うが、そのような時、耳にする言葉が“勿体無い”である。
広辞苑によると@神仏・貴人に対して不都合である。A畏れ多く有難い、という意味を持っている。
“勿体無い”という言葉の中に、余分な出費を避ける経済観や節約を美徳とする道徳観だけでなく、食べ物や食材、更には、それらを作り、供給してくれる人々、恵みをもたらす日光・水といった自然に対する感謝、仏教観に立てば、それらの全てを統括する仏に対する感謝、キリスト教観に立てば、全ての造物主である神に対する畏敬の念までも込められている。
明治・大正・昭和という日本の歴史の中で、海外の文化を取り入れながら激動を経験した時代に、“勿体無い”という言葉も、多くの人々に使われながらふくらみを増してきたものと思われる。
その言葉が、辞書から消えていくのは、まさに勿体無いという気がする。
しかし、ここ数年、この言葉が復活してきているように思われる。
その背景に地球環境に対する意識の変化がある。
第二次世界大戦での敗戦により、ゼロもしくはマイナスから出発した日本は、復興・戦後・急成長という30年間、そして成長が止まった後の30年間も、経済活動を最優先にしてきた結果、海・山・川・森という恵まれた自然環境に大きな負荷をかけ続け、一方で生活様式が大きく変化して、気がつけば、人工的に作られた化学物質と廃棄物に囲まれて成人病や異常気象に対処せざるを得ない時代に直面している。
しかしながら、地球環境に対する世界的な潮流を反映して、最近の10年間は日本でも自然環境に配慮した商品、生活様式への関心が高まり、リサイクル・リユーズが普及しつつある。
最近の若い世代が“勿体無い”という言葉を、何ら違和感なく使用している背景には、このような時代的変化があると思われる。
“勿体無い”という言葉に、自然の恵みや周囲の人々への感謝を込める若い世代が、今後も増えつづけて、人類が地球上のあらゆる生命と共生できるように、将来の日本人の意識と生活様式を変化させ、日本の針路を望ましい方向に導いてくれることを願ってやまない。
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