餅鯛稲荷大明神  もちたいいなりだいみょうじん 「神道を知る文献・資料」


神道を知る文献・資料 5
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(” Heian Jingu Shrine / 平安神宮 ”より)

惟神(かんながら)

祈り 日本人の根っこ
 「かんながら【随神・惟神】」とは、日本人が歴史のなかで育んできた文化と暮らしに根付いた感性をよくあらわす言葉です。
 神道のことを「随神の道」ともいいますが、「神々とともに」「神のご意志のままに」という意味で、日常生活を送るわたしたちの根っことなる感覚を表しています。

 わたしたちが暮らす現代の社会を見ると、国や町にも、学校にも、そして家庭や個人にも、いいしれない不安や閉塞感が覆っています。
 不安や混乱は人の心にあるものですが、人の生き方や、人間関係、子育てや教育、という社会のもっとも大切な部分が揺らめいていて固まっていません。
 社会とは個別の人が縦にも横にもつながりを持つことですが、人は、おのずから考えを持ち、様々なものを造り出す力のある存在です。しかし、どこかで何かに"よりどころ"を求め、何かを助け、助けられながら、今ここにいる存在でもあります。
 ものごとに対する見方や価値観がさまざまにあって、特に個の"権利"や"自由"ということには大きな価値が認められています。
 価値観の多様化ということは素晴らしいことですが、それが「自分のためだけ」に向いていることに問題の根の深さがあります。自分個人の主張ばかりがまかり通り、誰もがかたく信じて共有できる"動じない信念"を持ち得ていない、つまり心の根っこに鍵があるのです。

舞姫 ではこのような混乱は今に始まったことなのでしょうか、それは日本の歴史に目を向けても、時代の変わり目に何度も起こってきたことです。大きな戦乱の時、政権が交代するとき、外国文化と対面したときなど、必ず人心の乱れが起こり、社会に大きな不安が渦巻きました。
 そのような時に、先人たちが難局を切り抜けることができたのは、日本の悠久の歴史のなかで変わることなく伝えられてきた価値観、信仰に裏打ちされた信念があったからに他なりません。

日本人の信仰と感性
 日本人の信仰の紀元は、遺蹟の祭祀跡などからすでに縄文時代には見ることができます。
 その長きにわたって培ってきた信仰は、荘厳な山々や大海原の彼方にご先祖たちの世界や神々の世界を見て、深く豊かな森の木々、苔むす岩々には神の力を感じ、こずえを渡る風に何かの知らせを聞く、という感覚そのものです。
「八百萬(やおよろず)の神々」といいますが、これは「日本には数え切れぬほどの神様がいらっしゃる」ということを表していて、営み続ける生命の姿や自然の恵をもたらす何かの力、ご先祖様の御霊に神の存在を見てきたのです。つまり「祖先崇拝」と「自然への畏敬」という信仰が芯にあるのです。

社の祭り
日供祭  原始の姿から時を経て、森や木、岩そのものから「社」を建て、ここに神を迎えて祀り「神社」という形をつくりました。社を核に地縁や血縁で結ばれていた共同体から「集落」や「村」となって社会の基礎ができたのです。村が町となり市となって現代へと続きますが、今も日本各地で神社を中心とした社会は数多く残っています。
 神社を中心とした社会は、一つの大家族として生活し、精神面でも生活面でも共に支え合って暮らす社会です。特に人々の結びつきには「祭り」が大きな役割を果たしているのです。
 神の恵みと祖先の恩に感謝を捧げ、神と人が一体となり、神への気持ちが続く限り永劫に続けられていくのが祭りです。
 祭儀や神輿の奉仕、神楽やお囃子に山や山車と、思い浮かべるだけでわくわくしてくるのが日本人の祭りへの意識です。
 祭りに欠かせない技術や知識は、親から子へ子から孫へと受け継がれます。世代をこえて奉仕することで自然に規律が伝えられます。各世代がもろともに信仰という同じ心で参加し、結束を固める。そして神のご神徳、新しい生命力をいただくのです。

みたま さきわう 祭り
 「祭り」とは「神様をおまつりする」ということと同じです。社を設けて神の神霊をお迎えする「まつる」という形、神霊のさきわう「まつり」という行為。いずれも住民や信仰する者たちが、神と人との社会がいつまでも幸せに続くことを願って行うものです。
 「御霊振り(ミタマフリ)」「魂振り(タマフリ)」という感覚がありますが、これは祭りが高まり人が昂揚して盛り上がると、神の御霊も賑わすことができる、共に感動を得ることができるのです。魂振が行われると、次には新たな生命力を得て本の生活にたち返り「さきわい」「平安」が訪れるのです。

祈り  また先祖をまつることは、今この世に生をうけているものにとって欠くことのできない大切なことです。死に際しての葬儀はもとより、日々の祖霊との結びつきは日本人の感性が大きく作用しています。 現在葬儀や先祖をまつることは大半が仏式で行われますが、行われている中身は日本の信仰にのっとられています。
 死は生命の終わりで全ての終焉を意味する、という考え方は、西洋の思想が入ってきてからの新しいものです。
 神様の世界から命をいただいてこの世に生まれ、死ぬと体は無くなりますが、御霊、魂はご先祖様の世界、神様の世界へ戻っていくと信じられてきました。お盆や彼岸の先祖迎えや精霊送り、お正月の歳神様の信仰などにもよく見られますが、「あの世」と「この世」を行き交うのが人の御霊(みたま)なのです。神や先祖の世界である「あの世」はずっと遠くの世界ではなく、わたちたちの生活する周辺にある、ご先祖の御霊はいつも身近で見守って下さっているのです。

親から子 子から孫へ
 家庭に神棚や仏壇があり、父母が毎朝掃除し、お供え物をしてお参りを欠かさない、その姿だけでも子どもたちに多くのものを伝えることができます。
社殿夜景  子どもの心がさまよってしまうのは、よりどころとするものが無くなっているからです。
父は父として母は母として、確固とした信念を持って育てることはもちろんですが、人の社会を包んでいる世界のことも知る必要があります。
 「わたし」が今、なぜ、ここで生きているのか。その「根っこ」を見極めるためにも、父母をこえる存在として神や仏、自然の世界やご先祖様の存在が解ると、大きな心のよりどころを得ることになるのです。

 人は本来この世の中でただ一つの命として、自然で無垢な、すがすがしくも清らかな存在です。
 しかしその姿を保つには相当の努力が必要です。心身を清浄に保つためには、神や祭り、自然の力をかりて謙虚な気持ちに立ち返ることが必要です。
 本来の人としての姿にもどることを願う。これこそが神道の祈りです。

 神道では、具体的な教えを言葉や文章として遺していませんが、日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきています。

「神のご意志のまま」に、「神の意に背かない」生活を常に心がけること。
「教えられたことを忠実に守る」のではなくて「おのずから神の意志というものを推し量って生きる」信仰が「かんながら」なのです。

「かんながら」の信仰を持ち、信念を取り戻すことは、古くからある豊かな心をとりもどさせてくれるだけでなく、新たな価値観を生み出す大きな手段ともなるものなのです。



むすびとはらい

むすび 1年のむすび
 わたしたち日本人は、年が明けるとまず氏神様や崇敬する神社にお参りして、1年間家族を見守り続けてくださったお札やお守りに感謝を込めてお納めし、神様にご奉告します。また新たな年のしあわせを祈念した上で新しい守札を授かります。神様に新年のごあいさつをして初めて1年のすべての行事が始まります。
 家庭では注連縄を張り替え、門松を立て、神棚や床の間に鏡餅をお供えしてご先祖様の神霊や家庭のなかをお守り下さる「歳神様」をお迎えします。
 これは、自分自身や家庭が常にすがすがしくあろうという気持ちと、私たち日本人が古くから神様とのむすびつきをもっとも大切にしてきた例ですが、神様はいつも自分と一緒に、身近な生活のなかにいらっしゃる、というのが暮らしに息づいている日本人の意識なのです。

むすびの神様
 日本の「結び」は「物を結ぶ」という以外に、人と人、心と心の関係をも「結び」として表され、特別な意味がふくまれています。たとえば結婚式は、男女が結ばれ両家が結ばれる大切な儀式です。
神楽殿 ご縁を表す「むすび」は、古くは「産霊(むすひ)」いって、すべての物を生み出すご神威のことを表していました。天地・万物を生み出された神様に高皇御産霊神(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)、出産の際に見守って下さるのが産神(ウブガミ)という産霊の神様です。 また、産土(ウブスナ)の神様というのはわたしたちが生まれた土地の神様で、氏神様や鎮守様とも呼ばれますが、どこにいても自分の一生を見守って下さる神様です。
 神と自然とすべてのものと結ばれている存在が、わたしたち人間です。
そして、この感覚を信仰の形で伝えているのが神社なのです。
神社の祭りでは、まず始めに神様にお供え物をして、終わると「直会(ナオライ)」といって、そのお供えをおさがりとして食します。神と共にいただく、つまり神様と一体に「むすばれている」ことが大切なことなのです。

自然の命を「いただきます」
 私たちはご飯を食べるとき「いただきます」「ごちそうさま」と感謝します。これは本当は、ご飯を食べさせてくれるお父さんやお母さんだけに感謝しているのではありません。自然の命や神様の恵、何より「植物や動物の生命をいただく」ということに敬いと畏敬の念を込めて感謝するのです。
 自分も清らかな自然の一部として、神や自然と"直り会う"、自然とむすばれる生活を大切にすることが、日本の「こころ」なのです。

大麻 神社のお祓い
 神社にお参りすると「手水」があります。清らかな神域に入りご神前に進む前に、口と手を水で清めて戴くためのものです。また、家内安全や厄除け、お宮参りなどご祈祷を受けるとき、まず神職がご奉仕してお祓いの儀を行います。これは「修祓(しゅばつ)」といって、神事の前に身を清めていただくのです。お祓いに使われている祭具は「大麻(おおぬさ)」という榊の枝に紙垂をつけたものや、紙垂だけを束ねて串に取り付けた「祓串(はらいぐし)」があります。
 榊は古くから神様におうつりいただくことのできる神聖な木とされ、紙は清らかなものとして祓い清める力があると信仰されて来ました。神と自然の力を借りてお清めをするのが祓いの儀です。

祓いから産まれる
 祓の儀式の発祥は上代にさかのぼるといわれます。日本の神話『古事記』のなかにも「イザナギノミコトが亡くなったイザナミノミコトの後を追って死後の世界に足を踏み入れる、という罪を犯し穢れをおってしまった。これを筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて禊祓をされた。」とあり、さらに「身につけているものを投げやって祓う行為から、天照大御神をはじめとする貴い神々が産まれた。」とあります。清らかな水で穢れた体を祓い清めることで新しい生命を産み出す、という象徴的な描写です。修祓の儀で奏上される「祓詞」はこの故事に基づいています。
神苑 瀧  また、「スサノオノミコトが天照大御神の御心に反して乱暴な行為で罪を犯してしまい、天の岩戸が閉まってしまう」という事件が記されていますが、このときに「罪をあがなうために解除(祓い)の詞を宣上し、色々なものを差し出して祓い清めた」という故事もあります。
 これには日本人の観念がよく表されており、人は知らず知らずのうちに罪を犯してしまうものだが、謙虚に反省し改めることができる。その方法として「祓」がある、「祓」とはお清めをするだけでなく、新しい生命を産み出す、生まれ変わる、ということなのです。



祓いのくらし
 長い歴史を経た今も「祓い」は日々の生活や精神文化のなかに脈々と生き続けています。私たちが毎日のようにお風呂に入って体を洗うのも、仕事の前後には身の回りの掃除をして清潔にしておくのも、いわば「祓い」の信仰があるからです。
 時に日本人は何でも「水に流す」ので責任感がない、とか悪いことをすると「禊ぎをして出直せ」などといわれたりします。これは「祓い」という感覚のことを悪い意味で表現される例ですが、何もすべてご破算にできる、という都合のいいものではありません。本意は清らかな自然の元の姿に立ち返る、自然と結ばれるという日本人の真の美を表しているものです。

身を差し出し 生命をいただく
大 祓 式
大麻 「むすびとはらい」の信仰を今も連綿と受け継いでいるのが、「大祓式」です。古くから公の儀式としても民間の信仰としても、ずっと守り続けられて来た祓いの儀式です。
 大祓式は大宝令に宮中の年中行事としてその式次第が記されており、既に奈良時代の平城京では国家の行事として執り行われていたことが解ります。
 現在の大祓式では、まず水辺に生えて常に水を浄化しているという茅萱で作られた「茅の輪」をくぐり、「大祓詞」を唱和し「祓物」を用いて祓います。この「祓物」には木綿、麻布などが用いられています。つまり自分の日常身につけているものを差し出してお清めし、差し出す行為自体にも罪をあがなう意味があるのです。
 同様に「禊(ミソギ)」には「身を削ぐ」という意味もあり、自分の身を差し出して清める、差し出すことで生命の漲る自然の新しい力を得る事ができるのです。
祓物  神社に参拝するとお賽銭をお供えしますが、元来この「お供えする」ということは、まさに我が身の物を差しだして供え、新しい力をいただくことを祈るのです。これこそが本当の祈りの姿です。
 また自分の身代わりにするものには「人形(ヒトガタ)・形代(カタシロ)」があります。三月や五月の節句に飾る人形には、罪汚れを吹き込み、家庭の安泰を願う「形代」の意味があるのです。


む す び
 なぜ日本人はこのような一見わずらわしいことを行ってきたのでしょう。それは、人は決してすべてをつかさどり支配できる存在ではない。本来の姿は自然な清らかな存在だが、自分一人では常に過ちを繰返してしまい、反省しあらためる必要がある。という自然の摂理をよく知っていたからに外なりません。
 清らかなこころは自然の美さと全く同じものです。海、山、川、生き物や植物の姿にすがすがしい美しさを感じることができる。いつも自然のなかの一員であり、神々の力を崇めいただいて生活している。
これはわたしたち現代に生きるものにとっても、なんら変わりはないはずです。


四神の信仰

四神
いにしえの代から
 四神の信仰は古代中国で誕生し日本へ伝えられました。中国でも日本でも古墳の壁画や鏡、装飾品などにも絵に表された四神が出土しています。
 特に奈良県明日香村の高松塚壁画古墳やキトラ古墳は有名ですが、『続日本紀』の大宝元年(701)正月元日の条には、「朝賀の儀式に烏形の幢(どう)、左に日像(にっしょう)・青竜・朱雀の幡(ばん)、右に月像(げっしょう)・玄武・白虎の幡が立てられた」ということが明記されています。朝廷の祭儀で「四神幡(旗)」が用いられ、うけつがれて来たのです。
 藤原京から平城京への遷都された折の詔文に「方今平城の地、四禽図に叶(かな)ひ三山鎮を作(な)す、亀筮並(きぜいなら)び従ふ、宜しく都邑を建つべし」とあるのも、「四禽」つまり「四神」の思想と信仰によるものです。

四神旗 四神相応の都
 桓武天皇は、延暦13年(794)の10月22日、長岡京から平安京へと都を遷されましたが、「山河襟帯自然に城を作す」葛野大宮の地に平安京が選定されたのも、四神相応の「平安楽土」とみなされたことが理由のひとつでした。
 一般に四神相応の地とされているのは、東に清き流れがあるのを「蒼(青)龍」、南が広く開けた湿地帯であるのを「朱雀」、西に大きな道が続くのを「白虎」、北に高くそびえる山があるのを「玄武」とされていまして、それぞれこの京都では「蒼龍」が賀茂川、「朱雀」は干拓されて今は無き巨掠池、「白虎」は山陽道(もしくは山陰道)、「玄武」は舟岡山とされています。
 風水思想などの元になっている陰陽道や陰陽五行説にならって京の町を観ると、当時の大極殿跡(京都市上京区千本通丸太町辺り)は、「龍穴」とよばれる自然に宿る「気」が吹き出すところとされるようです。

 平安神宮でも平安京往時さながらに大極殿の東には「蒼龍楼」西には「白虎楼」がそびえ、本殿の東に位置する中神苑には「蒼龍池」西神苑には「白虎池」の名前がつけられています。また、年間の大きな祭事4月15日の例祭と10月22日の時代祭には境内に四神旗が掲げられます。

 平安遷都1100年を記念して創建された平安神宮と四神の信仰とのゆかりはきわめて深いものがあります。

(以上” Heian Jingu Shrine / 平安神宮 ”より)



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