神社の源流は、弥生時代から古墳時代にかけての農耕文化に求めることができる。
それぞれのクニで首長を中心に、カミガミ(山のカミ、田のカミ、水のカミなど)を特定の場所(依代)に迎え、そして送る儀礼が行われた。
依代が山の場合には、神奈備(かんなび)、神体山、岩や石の場合には磐座(いわくら)、磐境(いわさか)、樹木や枝の場合には神籬(ひもろぎ)と言われる。また依代が水源地、滝、海中の島の場合などもあった。(依代自身がカミと称される場合もあった)。
飛鳥時代後期の天武天皇の頃、律令制度のもと神祇制度が確立した。天皇を天照大神の天孫とし、祭祀権を掌握し、全国の神社を官社として国家の中に取り込んでいった。
この頃、編纂され始めた『日本書紀』には、用明天皇記に「天皇信仏法尊神道」とあり、仏教と区別して「神道」の語が初めて使われた。この頃をもって神道は成立したと言える。
飛鳥後期から奈良時代にかけて、仏教の寺院建築の影響を受けて、京都でも有力氏族によって、社殿が建立されていった。賀茂氏による賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社)、秦氏による松尾社と伏見稲荷社などである。
平安京遷都によって、王城の鎮守社となったのは、賀茂社だった。賀茂社は氏族の社から国家の社となり、伊勢神宮に次ぐ社格が与えられた。
平安中期以降、天皇家、藤原氏などの有力氏族と関係の深い神社のみ奉幣する体制、二十二社制に変更された。
10Cまでに、伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日、大原野、大神、石上、大和、住吉、広瀬、龍田、丹生川上、貴船が慣例化された。
11Cまでには、広田、吉田、梅宮、北野、祇園、そして日吉が加えられた。
中世以降、神仏習合化が進んでいった。
早くには奈良時代から始まり、初期の現象は神身離脱と言われる。神も人と同じく苦の身を脱し仏に救われることを願っているとする説で、全国の神社に神宮寺が置かれ、神職より僧侶の方が力を持った。
平安後期より、本地垂迹説が生じ、真言宗系からは両部神道、天台宗系からは山王神道の思想が生まれた。
中世後期になると、逆に反本地垂迹説が現れ、吉田神道が生まれた。
近世になると、幕府の庇護のもと、吉田神道は神職許可証の発行が認められ、僧侶の支配を受けない全国の神社を掌握していった。
思想面では、儒教が興隆し、儒家に影響を受けた儒家神道、垂加神道が現れた。
近世後期には、国学が生じ、そこから復古神道が現れ、明治維新のイデオロギーとなった。
(参考文献)
・神道 (図解雑学)
/井上 順孝・編/ナツメ社
(いまだに国家神道的な発想の本が多いが、客観的に解説されている)
・神道―日本生まれの宗教システム (ワードマップ) (ワードマップ)
/井上 順孝・編/新曜社
(上書と同じ編者。構成も似て、上書より中身の濃い本になっている)