| 祭祀の作法 (神様を味方にする作法) |
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神社参拝の際の正式な拝礼作法は、二拝二拍手一拝である。
具体的には、まず手水を使い心身を清めてから神前に進み、背中が水平になるまで二度深々と頭を下げ、拍手を二度行い、最後にもう一度恭しく頭を下げるのである。
このような神拝作法はいつごろから行われるようになったのだろうか。
拍手に関しては、『魏志倭人伝』に三世紀頃、すでにわれわれの先祖である倭人が、貴人に対して敬意を表わす作法として行っていたと見え、古い伝統をもつものであることが知られる。
この拍手は、古代においては神拝のときにのみ行われるものではなかった。
天皇の即位式でも行われていたことが、『日本書紀』の持統天皇紀四年正月条に見える。
つまり、拍手は感激の意を表わす最高の敬礼作法であったようだ。
大嘗祭をはじめとする伝統的な神祭の場では、拍手は最高の敬礼作法として重んじられた。
最も重い拍手は、八開手といい、八回の拍手を四度繰り返すものである。
この八開手は、大嘗祭に際して、皇太子以下により行われるが、伊勢神宮の神嘗祭や両度月次祭にも行われる。
伊勢神宮の祭祀が、朝廷の大嘗祭をはじめとする毎年の新嘗祭と密接に連動して行われていることを考えると、古代において八開手が、いかに重要な敬礼作法であったかが理解できる。
ところで、『日本書紀』の顕宗天皇紀によれば、拍手は高らかと清らかな音をたてて行うとある。
しかし、後世の公家の作法を見て見ると、音をたてないのが故実と見える。
これは、時代が降るにしたがい、作法が洗練され、古代の素朴な作法が、宮廷風の雅びなものへと改変されていった結果であろう。
拝礼作法については『日本書紀』に、飛鳥時代には両手を地面につきひざまずいて辞儀をしていたようである。
辞儀の度数が一度であったか数度であったかはは不詳である。
しかしながら、後世の事例から考えて、四度拝・八度拝などのように数度にわたったものと考えられる。
そして、この拝礼のことを匍匐礼とも、跪伏礼ともいう。
地面にひざまずく匍匐礼がわが国古来の拝礼と思われるが、この拝礼も律令制の導入にともない、唐風の起伏礼・立礼に改められた。
しかし、長い習慣は一朝一夕には改められるものではなかった。
政府はたびたび改正命令を出し、唐風拝礼の徹底を促していた。
こうして奈良時代になると、宮殿も大陸風のものになり、拝礼作法も唐風を採用せざるをえなくなった。
そして、立礼や起伏礼は、自然と官人社会に浸透していったものと思われる。
しかし、神祭の場では、古来の拝礼作法が尊重された。
八度拝は最も丁重な作法として重んじられ、それに次ぐ四度拝は両段再拝と呼ばれ、神拝作法として公家社会に定着した。
特に両段再拝は、藤原公任の著わした平安時代の故実書『北山抄』に、本朝の神拝作法と見え、当時の最も一般的な神拝作法であったことがわかる。
一方、伊勢神宮では、四段拝、八開手、短手一段、一段拝の順に両度行われていたことが、平安時代初期の儀式書にみられる。
前述のように、四段拝や八開手は日本古来の拝礼作法である。
この拝礼作法が、天照大神を祭る伊勢神宮と朝廷の祭祀に残されたことは注目されることである。
そして、以後この作法が公家社会の神拝作法両段再拝と融合し、「二拝二拍手一拝」という形式に定まり、今日の神拝作法となっていった。
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