餅鯛稲荷大明神  もちたいいなりだいみょうじん 「言霊詩歌」



言霊詩歌



(”言霊百神” より)
「言霊学とは」

日本語と言霊

 今から約一万年程も前、世界の屋根といわれる高原地帯からこの日本列島に下りて来た私達日本人の大先祖である聖の集団が言霊五十音布斗麻邇の原理に基づき、その十七の空相音、三十二の実相音を組合せることによって、物事の実相を見極めた上で、それに相応しい名前をつけて行きました。
これが日本語の始まりです。
人間のア次元の天真爛漫な心で物事の有るが侭の姿を捕捉して、それに真相音である言霊によって名を附けたのでありますから、その附けられた名前はそのまま物事の実相を表わしており、その名の他に何らの説明を要しない言葉でありました。
それ故にわが国のことを昔、神惟言挙(かむながらことあ)げせぬ国、また言霊の幸倍う国などと呼んだのであります。

 そして「言霊の幸倍う国」「神惟言挙げせぬ国」の意味をはっきり示す例として、人間精神の自覚の進化を示す順序である五つの母音、ウオアエイのそれぞれの下に、物事が心の空間を螺旋状に進展して行く音である「る」の一字を結合させて、「うる」(得、売)、「おる」(居)、「ある」(有、在)、「える」(選)、「いる」の五つの言葉を前回の会報の末尾に挙げました。
人間が生まれながらに与えられているウオアエイの五性能を自覚するために、この順序に従って心の勉学をなさった方ならば「得る」「居る」「有る」「選る」「いる」の五つの行為の内容は容易に御理解いただけるのですが、今は老婆心までにその内容について解説をいたします。

 人間は元々生れた時から五つの性能に恵まれています。
先ずは言霊ウの五官感覚に基づく欲望性能です。
この次元から産業・経済の社会が現出して来ます。
次には言霊オの次元で、言霊ウの五官感覚を認識の基礎にした経験知性能が現われます。
この性能の発展によって広く物質科学や、その他の客観的な学問の社会が現出して来ます。
進化の第三段階は言霊アの次元です。
ここから現出するのは人間の感情です。
この感情性能の探究からは宗教・芸術の世界が現出します。
次の第四段階は言霊エです。
この次元からは今までに挙げて来た言霊ウオアの三性能を如何様に活用すれば眼前の事態をうまく処理することが出来るか、の選択智、実践智が発現します。
この性能の発展によって道徳や高度の政治の社会が現出して来ます。
人間性能の自覚進化の最終段階は言霊イの生命の創造意志です。
この次元から現われる活動は現実の現象として姿を現わす事がなく、言霊ウオアエの四段階を統一し、この四次元の宇宙に刺激を与えて、それら四次元それぞれの現象を発現させる原動力となり、同時にその現出した現象に名前を附与するという特有の性能を有しています。
言霊五十音はこの言霊イの宇宙に存在しているのであります。
人間精神の最終段階である言霊イ次元を自覚するという事は、右の如く言霊五十音を以て心の構造を隈なく知るという事であります。

 以上人の心の五段階構造とその段それぞれの性能についてお話をして参りました。
人間はこの様に五つの性能を授かってこの世に生まれて来ます。そしてその人生をこの五性能によって生きて行くことになるのですが、普通人は自分がこの様な性能を授かっているという自覚を持ってはいません。
自分にどんな性能が与えられているのか分らないのですから、この世に生きて行く間には種々の困難に遭遇し、懸命に努力しなければならなくもなります。
「八苦の娑婆」といわれる所以です。
よりよく暮らし、幸福に生きるためには、自分が自主的に自らが授かっている心の性能を点検・検討して、その五段階構造を自覚することが必要です。
そこに心の勉強が始まる訳であります。
以上の心の作業によって五段階の心の構造を自覚的に登って行く時、各段に於て人はどんな事を自覚するのか、を考えることにします。
そしてその答えが先に示しました「うる」「おる」「ある」「える」「いる」となることをお話したいと思います。

言霊ウ次元、「うる」

 赤ちゃんは生まれるとお母さんの乳を吸います。
空腹のおなかを乳で満たそうとする欲望本能です。
大きくなるにつれて母親におねだりをします。
「お菓子が欲しい」、「赤い服が着たい」。もっと大きくなると、その欲望も大きくなります。
「どこどこの学校へ行きたい」「旅行へ行きたい」「一人で暮らしたい」「出世したい」「彼(彼女)と結婚したい」「政治家になりたい」「資金がほしい」「大臣になりたい」「勲章が欲しい」……「何々たい」が一生続きます。
この言霊ウの宇宙から発現して来る五官感覚に基づく欲望性能は留まることを知りません。
一生の間、この欲望性能に終始してそれで終る人も少なくありません。
この言霊ウという性能の次元で見る時、始まりも終りもありません。
一生の間唯ただ「たい、たい、たい……」と続きます。
その原因も目的も「たい」即ち自分のものにし「たい」という事に尽きます。
「貴方は何故それを欲しいのですか」に対しては、ただ「それがそこにあるから」ということに尽きます。
この言霊ウから発現する行為はただ一つ「得ること」です。
「自分のものにする」ことであります。そこには言霊ウの無言の「ウ」が渦巻いて吹き出しています。
即ち「うる」なのです。

言霊オ次元、「おる」

 生まれて学齢期になると子供は幼稚園に入ります。
この頃になりますと、子供はよく親に「これは何?」「こうなるのは何故?」と尋ねるようになります。
この好奇心は小学校、中学校、高等学校、大学校と進学するに従い、次第に強くなって行きます。
この言霊オの次元宇宙から発現する「何故」「何時」「何處」と尋ねる人間性能を経験知性能と呼びます。
この性能の特色は既に起った事を再び脳裏に呼び戻し、呼び戻した数個の現象間の記憶の関連性を調べ、その法則を探ることであります。
既に過ぎ去ったものの(記憶)(記録)、それは言霊オの性能の領域にあるものです。
それは発現した瞬間の事柄そのものではありません。
発生した事柄の瞬間の有りの侭の姿を「真実」と呼ぶならば、それが過ぎ去った後で、その記録や記憶を如何に調べ、その関連性を追及し、法則化しようとも、其処で求められた答えは真実ではありません。
そこで更に記録や記憶の観察法を変えることによって多様化し、その間の関連性を更に更に精密化しようと努力が続きます。
それは人間の「考える」努力の連続です。
真実そのものを神と呼ぶならば、その努力は過去から糸を手繰って神に帰ろうとする努力です。
日本語の「考える」とは正に「神帰(かみかえ)る」を語源としています。
経験知によって真実に戻ろうとする努力は、真実の周りをグルグルと記憶と記録を踏み台として永遠に廻り続けることなのです。
即ち言霊オが渦巻いていること、言い換えると「おる」ことです。
「おる」を漢字で書くと「居る」となります。
「居る」の意味は「過去から然々の事をして来て、今は此処に居る」ということであります。
(国語辞典を見ると、漢字の居を「おる」とも「いる」とも読むと書いてありますが、居の字は「おる」が本来であり、「いる」に相当する漢字は有りません。
居の字が「古」の「尸」(しかばね)と書くことから見ても御理解頂けると思います。)

 言霊ウ次元にある人が何かを「うる」と、その手に入ったものは自分のものと思います。
その「自分のもの」の意識から自我意識が生れます。
同様に言霊オ次元に於ても、自分の手にした経験知識の累積を自我そのものと思い込みます。
その自我は、自我の内容である知識とは相反する他人の言葉や行為に接しますと、瞬間的に、また無自覚的に心中にて他の人の言動に対し批判の鉾先を向けます。
その批判が言葉となって相手を批判しても、また言葉に出さず、ただ心中に於てだけの批判であっても、同様に相手を攻撃することに変りがありませんから、至る所で紛争が起り、刺々しい世の中が現出し、小は家庭内の騒動から大は国家民族間の戦争を惹起するまでになります。
そしてこのお互いの批判攻撃の輪廻は永遠に続くことになります。
現在中東で起っているアラブとイスラエルの紛争はよい例であります。

言霊ア次元、「ある」

 人間の心の自覚進化の第三段階は言霊ア次元であります。
ここより発現する人間性能は感情です。
この感情という性能は普通今までにお話した言霊ウの欲望性能と言霊オの経験知性能の影響を受け易く、喜んだり、悲しんだり、喜怒哀楽、恨み、憎しみ、一生の間全く果しがありません。
そこで美しいもの、愛、慈悲、魂の自由を求めて芸術や宗教の活動が起ります。
五官感覚からの飛躍、経験知識からの魂の開放、自我意識からの超脱です。
これ等の目的を達成する宗教的修行、美的追求につきましては今までに幾度となくお話しましたから、此処では省略いたしますが、それ等の活動の目標が美そのもの、本来の自我の探究であることは間違いありません。
そして追求・探究の末に行き着く境地は芸術で言えば、抽象でも写実でもないもの、その「有りの侭の姿」であり、宗教で言えば、また人間「有りの侭の自分」なのであります。
そこに言霊アの次元の自覚がもたらすものは「有りの侭の姿」であり、一言で言えば「ある」ということです。
これを言霊学で示せば、その物、その人が広い宇宙の中の一点に「ある」、その一点の時・処・位を確認する眼を持つ事です。
そしてその眼を持つためには、仏教の真言宗がいみじくも明言したように「阿字不本生」(アという言葉は元々生まれて来る音ではなく、宇宙始まって以来存在する音、即ち宇宙そのもの、という意)の眼でもって見ることであります。
人それぞれが持つ経験知によって見るのではなく人の本体は広い宇宙そのものであり、この永劫不変の宇宙の眼で見る時、物事の実相が映し出されることとなります。
宗教や芸術の真の目標は主体的にこの宇宙の眼によって人の世を見、また物事の実相を見、それを創造美に高めて行く事なのであります。

言霊エ次元、「える」

 言霊ウ・オから言霊アへの魂の進化を自覚することは、世の中の一切の柵(しがらみ)から開放されることであり、人にとってこれ程の歓喜はないと言える程の喜びであります。
そのためにこの心境にとどまり、自由を謳歌して一生を終える人がいます。
これを仏教では辟支仏(びゃくしぶつ)と呼んでいます。
けれど人の心の進化はこれにとどまるものではありません。
更に人生第一義といわれる菩薩、更に仏陀への道を進むことを慫慂(しょうよう)しています(法華経、化城喩品)。
「自分は御蔭様にて世の束縛から開放され、魂の自由を得た。
しかし世の中には種々の束縛の中で苦しんでいる人が多い。
自分が救われた御恩返しにこの人たちを救わさせて頂こう」と言って衆生済度の道に踏み出します。
この道を歩む人を仏教は菩薩といい、キリスト教では使徒と呼びます。
これが人の心の進化の自覚の第四段階である言霊エの次元です。
この段階に歩を進めてみると、魂は束縛を離れて自由であり、その自由な悟りから、かって自分が束縛の中で苦しんで来た煩悩が、実はそのまま人生のたどるべき意義ある経験であった事を知ります。
煩悩を迷える心で見るから苦しみなのであり、広大・永遠の宇宙の眼で見れば、それがそのまま悟りに他ならないことを更めて知ります。
菩薩道に入り、迷っている人を救済するのに、自分に与えられた欲望、経験知、感情をどう塩梅(あんばい)したらよいか、選ぶ事になります。
この四段階目の進化の自覚の道が「える」で示されるのはここに理由があります。

 この人間の精神進化の第四段階には今までの宗教が気が付かず、それ故に言及することがなかった大きな問題が隠されています。
自覚進化の言霊エの「える」、即ち「選(え)る」とは一般的には言霊ウオエの三つの性能をどのように選んで、即ちコントロールして物事を処理するか、また第四次元自覚の仏教で菩薩と呼ばれる人が言霊ウオアの三性能を選り、コントロールすることによって一切衆生を救済する人間性能です。
この処理または救済に当り、三性能をコントロールする時、どのようにコントロールするか、の確乎たる法則の自覚がないことであります。そのためコントロールの尺度を、以前頼っており、それが束縛という重荷になっていた個人の経験知に頼ることとなります。
個人の経験を完全な法則にまで引上げるには五劫とか十劫という永い永い時間をかけねばならない修業が必要だと仏教は説いています。
この「選(え)る」、コントロールの厳密な法則を教える言霊の原理がここ二・三千年間隠されてしまっていた暗黒の世であったからであります。

 言霊原理が甦(よみがえ)りました。
明治天皇以来百年にわたる諸先輩の弛(たゆ)まぬ努力によって第十代崇神天皇以前に現実の政治の鏡であった言霊の原理が昔あったそのままの姿で復元されました。
その結果、人間精神進化の自覚の第四段階である言霊エの次元の自覚が一言で「える」だと言うことの出来る時代が到来したのです。
「選る」とは何を選ぶのか、が明白に示されました。
それは精神的次元宇宙を表わす言霊母音ウオアエを刺激して、各次元からそれぞれ現象子音を生む原動力となる言霊イの働きであるチイキミシリヒニの八つの父韻の順序、配列を「選ぶ」のだ、と知ることが出来たのであります。
この事を神道の予言は国常立命(くにとこたちのみこと)の復帰と言います。
ここでは八父韻の母音ウオアエに働きかける配列を簡単に左に示します。
 言霊母音ウ―キシチニヒミイリ
 言霊母音オ―キチミヒシニイリ
 言霊母音ア―チキリヒシニイミ
 言霊母音エ―チキミヒリニイシ

言霊イ次元、「いる」

 人間精神の進化自覚の最終段階は言霊イの次元であります。
この次元から発現する人間性能は生命の創造意志です。
創造意志という性能は現象として現われることはなく、第一に言霊ウオアエ四次元の宇宙を統轄し、第二に言霊イの働きである八つの父韻となって他の次元宇宙に働きかけて、これ等を刺激して四次元それぞれから現象子音を生み出す原動力となり、第三にそのようにして生み出した言霊四次元ウオアエから現出する現象に言霊原理に則り名前をつけるという三つの性能を持っています。
また五十音言霊はこの次元に存在し、展開しています。
宇宙間の現象は誠に千差万別、無数でありますが、その無数の現象をこの次元に視点をおいて見る時、このタッタ五十音の言霊によってすべてが表示されて、区別され、それぞれの現象の意味・内容が理解され得るのであります。
それ故にこの世にあるすべてのものはこの言霊によって構成され、この言霊によらずにこの世にあるものは何一つありません。

 言霊五十音は何時、何処で活動しているのでしょうか。
それは常に「今・此処」(続日本紀で中今といいます)です。
また言霊のことを一音で霊とも呼びました。
その霊が活動することは霊駆(ひか)り、即ち光であります。
人の生命(いの道[ち])はこの光即ち言霊の活動によっています。
この事を新約聖書ヨハネ伝福音書冒頭の文章がいみじくも簡潔に伝えています。
「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なり。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。
之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。
光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。」

 以上、今まで人間精神の進化をその進化の段階の順序に従って説明し、段階それぞれに対応する人の心構え、「うる」「おる」「ある」「える」についてお話を進めて来ました。
心の段階進化の自覚でありますから、人が自分自身の心を省(かえり)みることによって自覚されます。
他人を見て自覚するのでなく、自分を見ることによる自覚です。
その結果、言霊ウの次元に於ては、欲望の目標を手にすること、それを「うる」と言うことを知りました。
言霊オの次元に於ては、自らの過去の魂の遍歴の過程を知り、その因果によって自分は今・此処に「おる」と自覚することでありました。
言霊アの次元では、人は常に今・此処に有るが侭の姿でここに「ある」自分を知りました。
言霊エの次元に於ては、勇気一番、今・此処にあることが出来る幸福の御恩報じとして、世の中の迷える人々との関わり合いの中に自分の一生を投じ、如何にせば人を救えるかの選択智、更には人類救済のための言霊原理の八父韻の配列を「選る」ことの中に生きようとすることを知りました。
では進化の最終段階の自覚の心を示す「いる」とはどういうことなのでしょうか。

 創造の神・言霊の神である伊耶那岐の大神は言霊の原理を完成し、その結論である天照大神、月読の命、須佐男の命(三貴子[みはしらのうずみこ])を生み、自らの神業をすべて成し遂げて、淡路の多賀におすまいになられた、と古事記にあります。
この場面を日本書紀に見ることにしましょう。
「伊弉諾尊、神功既に竟へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくれのみや)を淡路(あわぢ)の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。
亦曰く、伊弉諾尊功(かむこと)既に至りぬ。
徳(いきほひ)亦大いなり。
是に天に登りまして、報告(かへりごと)したまふ。
仍ち日の少宮(わかみや)に留まり宅(す)みましぬ。」
神功(かむこと)とは言霊原理の百神を生んだ仕事のこと。
淡路の洲とは吾と我の間の交流によって生まれて来る言霊百神の原理を生み、その証明と自覚とをすべて成し終えて、それが言霊ス(洲・皇・静・巣)の姿に落ち着いた心であります。
日の少宮とはアオウエイ五母音宇宙のこと。全ての現象はここより生じ、ここに帰って消える、日(霊)の湧く宮でもあります。
伊弉諾尊はこの五母音宇宙の中に永遠に留まり宅んでいらっしゃいます(「古事記と言霊」284頁)。
このすべてを知った上で言霊スの姿に落ち着いた姿で世界人類の動向を掌握して「今・此処」に粛然としていること、これを「いる」と言います。
そしてひと度立ち上がれば、気である八父韻が活動を開始して、「いる」は「いきる」と変じ、父韻は母音宇宙に働きかけて現象子音の霊葉を生み、その「霊駆り」によって暗黒の森羅万象に光を与え、歴史創造という新生命の中に摂取して行く原動力となります。
―真実の日本語の「いる」という言葉は日本語以外には見出すことが出来ません。
因みに神代象形文字の「ゐ」は人が坐った姿()であります。






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