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| (” Japan on the Globe 国際派日本人養成講座 ”より) 国柄探訪:「鎮守の森」を世界へ 鎮守の森から学んだ最新生態学理論で宮脇昭は 国内外のふるさとの森づくりを進めている。 ■■■■ H17.04.10 ■■ 32,949 Copies ■■ 1,550,266 Views■ ■1.神戸を護ったふるさとの木々■ ヘリコプターの下には震災後の神戸の街の惨状が広がってい た。ちょうど子供の頃に見た、戦争直後の東京や横浜の焼け野 原を宮脇は思い出していた。 しかし、よく見ると、所々に緑のかたまりが見える。小公園 の小さな樹林や神社の森がそのまま残っているではないか。神 社のコンクリートの鳥居が傾き、社殿が倒壊しているのに、鎮 守の森の木々は一本も倒れていない。そこには難を逃れた人び とが集まっていた。 埋め立て地のヘリポートに着陸し、タクシーで長田区に入っ た。猛火に焼けただれた鉄の塊の間で、少女とその父親らしき 人が一生懸命に手で土を掘っている。母親の遺骨を探している ようだ。しかし神戸に多いアラカシの並木の裏にあるアパート は、並木が火を食い止め、延焼を免れていた。 多くの家が猫もはい出せないくらいペシャンコになっている のに、そばに土地本来のカシノキやシイノキが一、二本あった ところでは、傾いた家の屋根がひっかかり、完全な倒壊を免れ ていた。これで助かった人たちもいただろう。 高級住宅が張り付いている六甲の急斜面では、岩石のかけら 一つ落ちていなかった。アラカシやモチノキ、ヤブツバキなど の常緑広葉樹が深く根を張って土砂崩れを防いでいたのだ。 ■2.「現存植生」と「潜在自然植生」■ 「その土地本来の森であれば、火事にも地震にも台風にも耐え て生き延びる。災害対策の意味からも、それぞれの地域の主役 となる木を中心に森を作るべきだ」。横浜国立大学環境科学研 究センター教授・宮脇昭はこう主張してきた。神戸での光景に、 宮脇は驚くと共に、自分の説が間違っていなかったと確信した。 1958年から2年間、宮脇はドイツ・国立植生図研究所のチュ クセン教授について植物社会学を学んだ。教授と共にヨーロッ パ各地の植生を徹底的に現地調査しながら、「現存植生」と 「潜在自然植生」を研究した。「現存植生」とは現在、その地 にある植物群落であり、長年の人間の活動に影響されていて、 その土地本来の植物群落である「潜在自然植生」とは異なって いる事が多い。 たとえば日本の本来の「潜在自然植生」は、冬も緑のシイ、 タブノキ、カシ類など広葉樹林である。ところが現在、我々が よく見る森とはスギ、ヒノキ、マツの針葉樹林である。これら はもともと広葉樹よりも生命力が劣っていたので、尾根筋、急 斜面、谷筋など広葉樹のすき間に自生していた。ところが、戦 後、急速な住宅建設の必要に迫られ、早く育つスギ、ヒノキ、 マツ類の画一的造林が進められて、全国に広まった。 ■3.「鎮守の森」こそ日本の「潜在自然植生」■ その土地本来の植生とは異なる、生命力の弱い種に植え替え たつけは大きかった。マツはマツクイムシに赤茶け、さらには 樹幹が白骨のようになって枯死する。瀬戸内海沿岸などで春先 に何日も山火事が続くのはほとんどマツ林である。カラマツ植 林地は根が浅いために、台風のあとは根こそぎ倒れてしまう。 また生命力の弱いスギは子孫を残そうと一生懸命、花粉をばら まき、多くの人を花粉症で悩ませる。 帰国を目前に控えて、日本列島の本来の「自然植生」とは何 かと考え始めた宮脇の心にふと浮かんだのが、子供の頃、ふる さとの岡山・御前神社の秋祭りの光景だった。夜中の1時から 始まる神楽(かぐら)を見に、人びとが集まってくる。神楽が 終わり境内に出ると、大きな木々が暗闇の中に浮かび上がる。 黒く太い枝が子供だった宮脇の頭上に覆いかぶさってくる。 その神々しさに身震いをした感覚は今も身体に残っている。も しかしたら、「鎮守の森」こそが日本古来からの森であり、潜 在自然植生なのではないか。 しかし、日本の研究者の間では宮脇の考えは理解されなかっ た。そもそも潜在自然植生という言葉すら、ほとんど知られて いなかったのだ。しかし環境問題が急速の表面化するに従って、 宮脇は企業などから講演を求められるようになった。 ■4.「製鉄所のまわりに森を作りたい」■ 昭和46(1971)年4月、宮脇は新日鐵の環境管理室から電話 を受けた。その前週に宮脇が経団連で行った講演に感銘したの で、「先生のおっしゃる森を製鉄所の周りにつくりたい」と協 力を依頼してきたのだった。当時は全国の製鉄所が、騒音、粉 塵、排水などの問題で周辺住民との軋轢を抱えていた。 ほどなく新日鐵の全10カ所の製鉄所で森づくりが始まった。 その一つ、名古屋工場では幅100メートル、長さ5キロの森 が工場を取り囲むという規模である。埋め立て地のため、3メ ートルから5メートルの盛り土が必要であった。莫大な予算が かかる。経営陣のよほど強い意思があったのだろう。 北九州の八幡製鐵所では一騒動あった。宮脇が現地調査をし て、潜在自然植生のシイ、タブ、カシ類を中心に木の種類、本 数を細かく指示していたのに、実際に植えられていたのはマツ だった。担当課長は「タブやカシはなかなかないし、値段も高 いので、安くていくらでも手に入るマツを植えました」と言う。 木なら何でも同じだろうという考え方である。宮脇はなぜマ ツがこの土地本来の本物の木ではないかを説明する必要を感じ て、近くの神社に皆を連れて行った。八幡製鐵が日本で最初の 製鉄所としてできた時に、作られた高見神社である。1940年頃 に移設された比較的新しい神社であるが、見事なシイ、タブ、 カシ類が育っていた。「これが本物の森です」と宮脇は言った。 5万本もマツの苗を買ってあったが、改めてシイ、タブ、カシ を中心とした森づくりが始まった。 翌年、ドイツのリヒテルンで開かれた国際植生学会で、新日 鐵の各製鉄所における環境保全林作りを宮脇は報告した。まだ 工場の周りに木を植えることは世界各国でもあまり考えられて いなかったため、大変な関心を呼んだ。かつて「日本の産業立 地では自然の森を破壊して、工業団地が作られている」と批判 していたオランダの学者たちが、「とうとう土地本来の森づく りをやり始めたか」と宮脇に握手を求めてきた。 ■5.鎮守の森は千年の森■ 森とは木が集まっただけではない。高木、低木、下草、さら には野鳥や昆虫、地中の小動物群、カビ、バクテリアなどいろ いろな生き物がいがみ合いながらも一生懸命生きている共同体 社会である。 日本列島では2千年ほど前に稲作が始まり、森を切り開いて 水田とし、さらに道や集落を作ってきた。しかし、私たちの祖 先はその際にも、かならずふるさとの木による森を残した。そ れが鎮守の森である。 「鎮守」とは、その土地の地霊をなごめ、その地を守護する神 である。その言葉通り、鎮守の森は地震、台風、火事から、住 民達を守ってきた。さらに神社を守ることによって文化を伝え てきた。 鎮守の森は強い。荒れ地には一気にはびこるセイタカアワダ チソウなどの帰化植物も、鎮守の森には侵入できない。かつて は日本中の樹木を食い荒らすと恐れられていたアメリカシロヒ トリも、鎮守の森には歯が立たなかった。 またスギやヒノキなどを人工的に植えた森では、下草刈り、 枝打ち、間伐と、常時、人間が手を入れてやらねばならないが、 その土地本来の樹木でできた鎮守の森は、そんな必要はない。 鎮守の森は千年の森なのである。 ■6.「タブノキ! タブノキ! タブノキ!」■ 平成14(2002)年11月23日朝、島根県出雲市にあるオム ロン出雲のグランドに、市内の750名もの小中学生が集まっ た。やがて宮脇が紹介され、マイクを通じて大きな声で呼びか けていた。 北山の、出雲の一番本命の木は、火事にも、地震にも、 台風にも長持ちするものは何であるか、大きな声で言って いただきます。タブノキ! タブノキ! タブノキ! グランドの向かいの北山では、緑の山麓の所々にぽっかり穴 があいているのが見える。マツ枯れが進行しているのである。 そこにこの土地の木を植えて、北山を本来の姿に戻そうという のが、この植樹祭の目的だった。 宮脇の説明が終わると、小中学生らが宮脇に率いられて北山 に登っていく。細い山道には小学生でも登れるようにと、新た に丸太の階段がつけられている。30分ほど歩き続けて到着し た植栽現場では、枯れたマツが切られて、タブノキ、シラカシ、 アラカシなど35種類、7千本のポット苗が置かれている。 この日のために、1ヶ月もかけて30人の森林組合や市職員 たちが準備していたのである。宮脇の熱意は多くの人びとを動 かしていた。 1時間足らずの間に、7千本の苗木が5千平米の北山の斜面 に植え込まれた。植え終わる頃には、子供たちは額に汗を浮か べ、充実感に目を輝かせていた。彼らが大人になる頃には、北 山はこの土地本来の緑に包まれているだろう。山肌にしっかり 根を張って土砂崩れを起こさず、豊かな水と空気を生み続ける ふるさとの森へと。 宮脇はこうした植樹祭をすでに約千二百カ所で行ってきた。 ■7.海外に広がる「ふるさとの森」づくり■ 宮脇のふるさとの森づくりは、海外にも広がっていった。 1990年、三菱商事から協力依頼があり、同社内に地球環境室が 作られ、東南アジアにおける熱帯雨林の再生プロジェクトがス タートした。 当時は日本企業によるラワン材の伐採が海外からも強く非難 されていた。しかし、日本企業の伐採は一ヘクタールあたり数 本の超高木に限られており、それよりもその後で、韓国や華僑 系の人びとが成長途中の樹木まで伐採し、さらに現地の人びと が後を焼いて焼き畑にしてしまうことが問題であることが分かっ た。 宮脇は36種類の超高木、高木、亜高木のポット苗を作り、 1991年7月にマレーシアで学生や地元の住民2千人を集めて、 第一回の植樹祭を行った。8年後には土地本来の多様な樹木が 10メートル以上にも伸びた熱帯雨林に成長した。それ以来、 三菱商事と日本からのボランティア、マレーシア農業大学の協 力で毎年、植樹祭を続け、既に50ヘクタール以上、30数万 本の苗が植えられ、着実に育っている。 同様に様々な日本企業の協力を得て、タイではマングローブ 林、アマゾンでは低地熱帯雨林、チリではナンキョクブナ林の 再生が進められている。 ■8.深刻な中国の砂漠化■ 中国での緑の破壊と砂漠化は深刻である。中国全土の約28 %が砂漠となり、森林率はわずか17%。砂漠は北京からわず か70キロの西北に迫っていた。北京市長は宮脇に頼んだ。 「宮脇先生、このままでいけば40年で都を移さねばなりませ ん。是非ご協力いただきたい」 万里の長城沿いに森をつくるという壮大な計画を宮脇は開始 した。日本のイオングループ環境財団と北京市の間で3年間に 39万本の植樹をすることが決まり、宮脇がプロジェクト・リ ーダーとなった。 長城付近にはほとんど樹木がない。長城のレンガを焼くため に付近の樹木が伐採され、その後も戦乱や、暖房の薪取りに、 森は破壊され尽くしていた。宮脇は付近の古いお寺などに残っ ているモウコナラの老木から、この木がこの地域の主役であろ うと推定した。そして土地の古老から聞き出して、100キロ 以上も奥地にあるモウコナラ林を見つけ出し、大量のドングリ を手に入れた。 第一回の植樹祭は1998年7月4日。日本から1400人のボ ランティア、中国人民政府側から1200人が集まって、4万 5千本のモウコナラのポット苗を植えた。中国での植樹祭なの に、日本からのボランティアの方が多いのは、環境意識の違い からだろうか。 寒暖の激しい環境で、苗が根付くかどうか。5ヶ月後の12 月の調査で、当初逃げ腰であった林業試験場の職員達は言った。 「プロフェッサー・ミヤワキ、100%活着している。不思議 だ。しかし100%と言えば北京市人民政府の局長や部長が信 用しないから、活着率98%と報告したいが許してくれるか」 その後、宮脇は北京市から都市緑化顧問に、上海市からは浦 東新区緑化顧問に任命され、中国での緑化活動に活躍している。 ■9.「鎮守の森こそ21世紀の世界を救う足がかりになる」■ 1997年3月、宮脇はハーバード大学で開催された「エコロジ ーと神道」という国際シンポジウムに招かれ、「鎮守の森を世 界へ」と題する招待講演を行った。宮脇は、神道と鎮守の森の 歴史や意義について語り、「鎮守の森こそ21世紀の世界を救 う足がかりになる」と訴えた。 シンポジウムではナポリ大学の教授がこんな発言をした。 4千年の歴史を持つ自然と共生した日本の自然宗教が、 ごく最近、百年足らずの間に、一部の人によって間違って 利用されたために、いま、多くの日本人が宗教に無関心で ある。鳥居とか、神社とか、鎮守の森と言っただけで拒否 反応を起こす。これはきわめて不幸なことである。我々は 4千年続いてきた神仏混淆の宗教をもう一度見直すべきで はないか。 シンポジウムの最後に開かれた打ち上げパーティでは、一人 のアメリカ人が宮脇に英語で話しかけてきた。 日本の伝統的な鎮守の森をモデルとし、エコロジーと総 合した新しい鎮守の森づくりを科学的な脚本にしたがって やろうとしている。これは素晴らしいことです。しかも、 国内だけでなく、アマゾンやボルネオでもやろうとしてい る。このノウハウを日本から世界に発信していけば、再び 私は日本がナンバーワンになると信じています。 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者・ハーバード大学の 教授エズラ・ボーゲルだった。 (文責:伊勢雅臣) |