| 稲荷信仰と狐 |
|
(”文学科プロゼミ4 江戸時代入門”より)
稲荷信仰と狐
稲荷信仰の特色は、知らないほうが少ないと言えるほど各地に根付いた信仰でありながらも朝廷と結び付くことはなく、あくまでも民間信仰として歴史が続いてきたことにあると言える。
深く掘れば限りがないので、その中でも特に「狐」の存在についてここでは挙げてみようと思う。
『江戸東京歴史探検第三巻 江戸で暮らしてみる』(中央公論新社、2002年)の「稲荷信仰」の項目に挙げられている、王子稲荷の前の榎に集い参拝をする狐達の絵を見ると、青白い狐火がいくつも描かれており、狐の神秘性を物語っている。狐火とは狐が口から吐くとされる炎であり、稲荷大明神の御先(ミサキ・オサキ)神である狐が口に咥え、または尾に巻いている宝玉も火炎の玉で、稲荷社の鳥居が赤く塗られているのも火炎に由来する。他に稲束や蔵の鍵を咥えている場合もあり、いずれも豊穣と富貴を象徴するものだ。
御先神とは主神に従属し、その先触れ、先駆け、使いとなる神を言い、有名なものでは他に天照大神にとっての八咫烏(ヤタカラス)がある。
狐は冬に発情して狐鳴きを発し、食物を求めて人里近くまでやって来たり、稲田に現れて不可思議な行動を取ったり、穀物を食い荒らす鼠を食べたりと特異な習性が古くから神秘的な印象を与えており、雨を降らすことが出来るとも言われ、各地で飢饉や災いから人間の村を守る神として祀られていた。
春から秋にかけての繁殖が農事の豊作にも通じ、稲作の守護神である稲荷神の先駆けと考えられた。
稲荷と言えばすぐに狐を連想するほど、狐は稲荷信仰と深く結びついた存在だ。
稲荷神とはその名を「稲生(いねなり)」に由来する、五穀豊穣を司る倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)などの尊称である。
倉稲魂神は別称を御饌津(ミケツ)神と言い(御饌とは天照大神の食物の事)、これを三狐神と書き間違えたことや、稲荷と同一視される荼吉尼(ダキニ)天が狐霊の夜叉神とされたことから、狐が稲荷明神の御先神であると見做されたと言われる。
稲荷信仰は真言密教との習合によって全国に広まり、治病、託宣、開運出世や商売繁盛にまで御利益があるとされた。
描かれる稲荷神には常に狐がついており、本地・伏見稲荷では狐の神霊は命婦(みょうぶ)神として祀られている。
命婦とは五位以上の称号を得た婦人を指すが、稲荷の狐に雌雄はない。
耳の内側や口の中を赤く塗られていたり、地蔵と同じ赤い前垂れをつけて祀られている稲荷の狐は、最早ただの御先神ではなく眷属、神の一族として認められているようだ。
稲荷との関わりがなくとも、狐の霊を祀った狐塚は各地に存在し、人を騙して殺された狐の塚や、化け猫を退治した狐の塚、怪火が燃えると伝えられる狐塚など、それぞれ異なった伝承を持つが、いずれも狐を御先神として祀り、田の神の祭場としていたと考えられる。
また、アイヌの地に於いても狐は狡賢く人を騙す動物(しかし間が抜けている)で、人間の狩猟の対象であり 「われらがどっさり殺すもの」という名で呼ばれ、狩も大して危険ではない為に軽く見られがちではあったが、その素早さから「足の速い人」とも呼ばれる。
これは主にキタキツネだが、「シトゥンペカムイ」と呼ばれる黒狐のカムイは格が高く、岬を守護し人間に危機を知らせるとされている。
狐は世界中で「狡賢い動物」と言われるが、古来の日本の狐は純粋な神の使いで、人を化かしたりということはなかったと言う。化狐の要素は平安時代に中国から渡って来た大陸での狐のイメージであり、陰陽師や修験者が狐を使役するようになったのもその頃からである。
中国由来の妖狐のイメージが混ざり込んだ為に、狐には祟り神の要素も強く、御先神自体が憑き物とも結び付く。
人に憑く狐をミサキと呼んだり、富を招くと同時に災いを齎す妖怪ともされるが、狐憑きの家の狐というものは野狐ではなくテンや鼬やオコジョのような小動物であると言われ、修験者の使役する管狐もそうだ。
妖怪的なイメージは荼吉尼天の夜叉の性質からの影響もある。
稲荷神や田の神などの尊い神霊は滅多に姿を見せるものではなく、神意を伺うには御先神を通すことが必要だ。
秋田県の一部では、狐がジャゲジャゲと鳴く時は何ともないが、コンコンと鳴く時には何かしら大変なことが起こると恐れられていたという。
|
|
|
|