餅鯛稲荷大明神  もちたいいなりだいみょうじん 「飯縄山」


飯縄山   (1)  (2)  (3)

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飯縄山マップはこちらに引用してあります
飯縄山の生い立ちはこちらに引用してあります

(”GANN個人のホームページ→長野の大地みどころ100選”より)


「飯綱山」二重式火山 何度も噴火

 登山や林間学校、スキー教室など長野市民にとって一番なじみのある山、飯縄山。
かつては戸隠山と同じように信仰の対象ともなった山でもあります。しかし、この山
がかつて雲仙普賢岳や有珠山のように噴火を繰り返した火山であること、山の姿を大
きく変えてきたことなどはあまり知られていないようです。
 標高1917メートルの飯縄山は市街地からみるとなだらかな裾野をもち、すり鉢
を伏せたような姿をしています。しかし、山の西側には瑪瑙山・怪無山・高デッキな
どの小さな峰がいくつか見られ、景色がまったく違っています。この違いの中に飯縄
山の生い立ちの秘密が隠されています。
 地形に見られるように飯縄山は二重式火山なのです。現在の山頂となってなってい
る部分は外輪山にあたり、今から約25万年前から噴火を始めたと思われます。何度
も噴火を繰り返し、溶岩や火砕流が積み重なって富士山型の成層火山に成長しました。
一番標高が高くなった時には、標高2500メートルほどだったと推定する研究者も
います。この時の火山灰は北信一帯に広く降り積もりましたが、三水村赤塩付近でよ
く観察されるので赤塩ローム層と呼ばれます。その後、約20万年前、水蒸気爆発に
よって飯縄山の西半分が崩れてしまいました。そして、約15万年前から次の噴火が
新しく始まりました。怪無山・高デッキ・天狗山など、小さな火山が次々と溶岩ドー
ムを造りながら噴火しました。山麓に残された火山灰層から見ると、飯縄山の最後の
噴火は約5万年前。その後、火山の噴火は黒姫山や妙高山の方へ移って行きました。
 長野市民の憩いの山も、長い大地の歴史からみると大変新しい山で、何度も激しく
姿を変えてきたことがわかります。次はいつ姿を変えるのでしょうか。





戸隠村から見た飯綱山



「飯綱高原」石器や剥片などを発掘

 長野市の北西には飯綱山の噴火に伴う泥流が基盤となってできた、標高1000m前後
の飯綱高原が広がっています。飯綱高原の入り口にある大座法師池の近くに上ゲ屋遺
跡があります。この遺跡は1961年と1972年の2回の発掘調査と1994〜 1996年の確認
調査や分布調査などがおこなわれました。その結果、約2万年前の旧石器時代の遺跡
であることがわかりました。遺跡からはナイフ形石器、尖頭器、掻器、彫刻器、削器
などの石器と、石器をつくるときに生じた剥片や、調理などに関係したと考えられて
いる礫群とよばれる焼けた川原石の集まりが見つかっています。
 この上ゲ屋遺跡の西側の大谷地湿原の周りにも試掘調査で石片などが見つかり、湿
地を取り囲むように遺跡群形成していると思われます。
 飯綱高原には上ゲ屋遺跡のほかにも同時代の遺跡が見つかっています。猫又池の近
くに飯縄猫又池遺跡、大池の近くに飯縄大池B遺跡、一ノ倉池の近くに一ノ倉遺跡と
いうようにいずれも湖沼の周りにあります。飯綱高原一帯には旧石器時代の人々が狩
りをしながら転々と移動生活をしていたのではないかと思われます。
 この高原には現在、大座法師池をはじめ、丸池、大池、猫又池、一ノ倉池などの小
さな湖沼が数多く分布していますが、これらの多くは人工的につくられて、用水ため
池として利用されてきたもので、もともとくぼ地や湿地などの地形だったところをた
め池にかえたものです。
 旧石器時代の飯綱高原は、丘陵や台地の間に浅い小湖沼や湿原がたくさんあり、旧
石器人がその近くにキャンプをしながら動物を追いかけ狩をしたり、木の実などを採
集して生活をしていました。こんなことを思いながら大座法師池の周りをのんびりと
歩いてみませんか。

(地学団体研究会 長野支部 矢嶋勝美・長野南高校教諭)




大座法師池と上ケ屋遺跡(正面奥



「逆谷地湿原」秘めた10万年前の歴史

 長野市北西の飯綱火山の麓、長野市と牟礼村の境に、逆谷地(さかさやち)という
ミズゴケに覆われた湿原があります。有名な尾瀬ヶ原や北海道の釧路湿原にくらべる
と、 面積約4ヘクタールというちっぽけな湿原です。飯綱山麓に湿地はたくさんあり
ますが、湿原はごくわずかしかありません。湿原というのは、泥炭と呼ばれる植物遺
体の上に発達した草原のことです。そこは乾燥が進めばたちまち普通の草原や樹林に
変わり、逆に水が多すぎると池や湖になってしまい、湿原は消えてしまいます。つま
り湿原は、水分条件がちょうどよいぎりぎりの環境が保たれてはじめて成立する、と
てもデリケートな自然の姿といえます。
 ところで、世界中の湿原(泥炭地)の大部分は氷河期が終わった約 1万年前以降に
形成されたといわれます。前述の尾瀬ヶ原は約9000年前、釧路湿原は約3000年前にで
きたものです。ところが逆谷地湿原では、ボーリング調査をしたところ13m地下まで
泥炭を主とした地層がたまっており、なんと10万年も前から湿原だったことがわかり
ました。逆谷地湿原は、面積は小さいけれども、非常に歴史が古く、しかも今日まで
ずっと生きつづけてきた、きわめて特異な湿原なのです。
 この湿原の存在と価値が一般に知られるようになったのは、つい最近のことです。
そのきっかけは、近くに計画されたゴルフ場の環境アセスメント調査が最初でした。
それ以後、湿原に関する研究が進むとともに、市や村、ゴルフ場の関係者の方々など
の協力があり、2000年3月には県の自然環境保全地域に指定されました。その年の秋
には市が木道と展望台を整備し、今では誰でも気軽に観察ができるようになりました。
5月から6月にかけては、次々と花開く植物や野鳥の姿など一年中で最も美しく湿原
が姿を変えてゆく季節です。飯綱高原に残された貴重な自然とそこに秘められた歴史
を静かに味わってみませんか。


(地学団体研究会 長野支部 長野県自然保護研究所研究員 富樫 均)


ミツガシワの咲く頃(5月中旬)



「大座法師池」安定した地形とわき水

 大座法師(だいざほうし)池は、長野市北西にある第四紀火山の飯縄山の裾野にあ
ります。池の長径が約500m、湖面面積約 7.5ヘクタール、水深は5〜7mで、南北に
伸びた足型のような形をしています。大座法師という名称は、映画「もののけ姫」に
もシシ神のもうひとつの姿として登場した巨人伝説のダイダラボッチに由来します。
「飯綱山から飛び降りた法師の足跡が池になった」とか、「かつては大蛇池と呼んだ」
という言い伝えもあります。
 池の標高は1030mで、ゆるやかな起伏の高原の中に位置します。飯縄山周辺の地図
を広げてみると、近くに大池や猫又池など同様の池がたくさんあることがわかります。
これらはいづれも下流地域の灌漑用水池として築造されたもので、その歴史は江戸時
代以前(古くは16世紀)にまでさかのぼるということです。
 地形的にみると、このため池群は飯綱火山の南東麓〜南麓に帯状に並んでいます。
この分布に関連して、火山の形成後に火山自身の重みで火山体が沈下したことにより、
火山の周囲に池や湿地ができやすい地形が生まれたとする学説があります。背後に大
きな火山があるために、付近一帯には火山麓に特有の豊かな湧き水があります。そし
て、浅川など下流の河川沿いにみられる激しい侵食作用は、まだこの高原には及んで
いません。したがって、このあたりは安定した地形と安定した水の供給に恵まれてお
り、ため池の築造にとっては実に合理的な立地条件がそろっていることになります。
 現在、周囲はカラマツ林に囲まれ、近くには大谷地湿原があります。また、キャン
プ場やアスレチック施設なども整備されています。市街地に近い、美しい高原の観光
地ですが、一方で池の富栄養化がすすんでいるという県の水質調査結果もあります。
賢明な利用とともに、なお一層の環境保全が望まれます。


(地学団体研究会 長野支部 長野県自然保護研究所研究員 富樫 均)


早春の大座法師池と飯縄山(手前にみえるのは浮島)


「ローム層」飯綱山の火山灰 覆う

 上水内郡豊野町から三水村を通り、信濃町に抜ける広域農道があります。三水村塩ノ入から信濃町戸草に向かう通称「三水峠」には、今では見られませんが、数年前の工事中には見事な地層の崖(がけ)が現れました。
 崖には縞(しま)模様があり、近づくと黄色っぽい赤土や白色の軽石が挟まれていました。
 このような赤土は、「ローム層」といいます。今から30万年ほど昔、長野市の北にそびえる飯縄山は激しく噴火していました。その当時、大量の火山灰が噴き出し、周辺に積もりました。
 日本の上空には強い西風が吹いているため、火山灰は東に流され、火山の東側に厚く降り積もります。
火山灰は空から降ってくるので、地形に関係なく積もります。雪が積もるのと同じですね。
 こうして北信の大地を、飯縄山の火山灰が厚く覆いました。
 噴火が何回も繰り返された結果、数十rの厚さに火山灰がたまりました。このような火山灰は最初は灰色や黒、白色だったのですが、風化を受けて、黄色っぽくなり、また粘性が増して、ローム層となったものです。
 信濃町から妙高高原に向かうと、黒姫山や妙高山の火山灰も加わり一層厚くなっています。
 ローム層の崖を詳しく見ると、縞模様の色や厚さ、中に入っている小石の種類が少しずつ違うことが分かります。
 1枚1枚の火山灰を区別してローム層の崖を調べていくと、信濃町では飯縄山のローム層の上に黒姫山のローム層が厚くかぶっており、さらに北の新潟県妙高高原町では妙高山のローム層や黒色の火山灰層が一番上を覆っていることがはっきりしました。
 ローム層は牟礼村、三水村、信濃町などの高原でしばしば見ることができます。車でこの付近を通るときには、崖や山々の景色を眺めながら、こうした大地の生い立ちに思いをはせるのも楽しいことですね。

(地学団体研究会 長野支部 花岡邦明・長野ろう学校教諭)


広域農道工事中に現れたローム層(三水村普光寺三水峠)


「ブランド薬師」海底にたまった凝灰岩

 長野市浅川から飯綱高原へ登るループ橋のすぐ横に「ブランド薬師」と書かれた看
板が目につきました。ちょっと変わったこの名前、最近のブランドブームにあやかっ
て名づけられたような感じです。なぜ、こんな名前がついているのでしょうか。
このブランド薬師、古くは「浮蘭渡八櫛」とか「ぶらん堂」と呼ばれていました。断
崖絶壁の中腹にあるこのお堂、あるくとゆれてブラン、ブランすることから「ぶらん
堂」と名づけられたようです。これがいつの間にか、現在の名称になったものと思わ
れます。
 このブランド薬師のある山は「薬山」と呼ばれたそうで、白っぽい裾花凝灰岩でで
きています。約800万〜700万年前の海底に火山灰や溶岩の破片がたまってでできた地
層です。その後、約50万年前から長野盆地側が断層の活動で落ち込むようになり、西
側の山地が上昇していきました。この結果、裾花凝灰岩が盆地の西縁にそって露出す
るようになりました。その中で、崩れやすい部分は地附山のように地すべりをおこし
たりしていますが、旭山やこの薬山は硬い部分だったため、こうした断崖絶壁となっ
て残っているのです。
 この急崖は、信仰の場ともなりました。ここにも飯縄山や戸隠山と同じように、十
三仏が安置されたのです。不動明王から始まって虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)まで十
三体の石仏が置かれています。7番目の薬師如来を祭ったのが、ぶらん堂です。これ
だけのお堂をこの急崖に建てるには大変だったと思われます。お堂は善光寺地震の時
に崩落しましたが、文久元年(1861)には復元され、現在に至っています。
 麓に車を置いて、ブランド薬師まで歩いて約40分ぐらいでしょうか。長野市街を見
渡せる眺めの良い場所で、公園となっています。のぼりの急坂はきついですが、一度
は長野盆地の生い立ちを振り返りながら登ってみるのもいいものです。

(地学団体研究会 長野支部 田辺智隆・戸隠地質化石館学芸員)


浅川ループ橋を見下ろすブランド薬師



「飯綱鉱泉」鉄分と炭酸ガスを含む

 飯縄山南麓(ろく)のスキー場直下に飯綱鉱泉があります。国土地理院の地形図にも鉄鉱泉として明記され、昔からよく知られた鉱泉です。
 大正から昭和初期には鉱泉宿があって、戸隠神社への参拝客や物資を運ぶ人たちの宿泊地になっていました。現在では何もなく、そのまま水路に流れています。
 源泉は、尾根から幅広い谷間へ地形が変わる所にあります。直径約90mの樽(たる)のような木枠が地中に埋められていて、毎分、数百〜千リットルがゆう出している様子が観察できます。
 わき口の水は無色透明ですが、流路には赤褐色の沈殿物が一面に付着しています。
 透明な水が流路を赤く染める現象は、地下水に溶け込んでいた多量の鉄分が、大気に触れることや、鉄バクテリアの働きを受けることによって急速に酸化され、水酸化鉄として沈殿するために起こります。
 長野市誌(97年)に示されている分析書によると、泉温は12.0度、pHが5.8で、1Kg中に鉄イオンが20mg、遊離二酸化炭素が640mgも含まれる「含鉄泉」です。
 口に含んでみると鉄気(かなけ)臭く、甘く渋い味がして、おいしくはないですが、サイダーのような風味があります。
 飯縄・黒姫・妙高火山のふもとには、炭酸ガスを発散する鉄鉱泉が多いことが知られています。これらの地域には沈殿してできた鉄鉱床も多くあり、戦時中には鉄の原料として褐鉄鉱が盛んに採掘されました。
 飯縄山東麓にある霊仙寺湖は、今では上水内郡牟礼村の観光拠点になり、ワカサギ釣りでもにぎわっていますが、もともとはソブ川の鉄分を除去する目的でつくられた農業用のため池でした。
 鉄鉱泉のゆう出には火山地質の影響があると考えられますが、飯縄山麓の地下水すべてが鉄分を多く含むわけではありません。
 地下の水脈が異なると水質は大きく変化します。実際、この山麓には良好な水質の地下水脈も多く、それらは長野市や牟礼村の大切な水道水源になっています。


(地学団体研究会 長野支部 富樫 均・長野県自然保護研究所研究員)


雪の下からこんこんと水がわき出る飯綱鉱泉



「真光寺地滑り」弱い地盤を浅川浸食

 長野市浅川真光寺のブランド薬師の祠(ほこら)から東を見下ろすと、急な山地の間にやや
緩やかな傾斜地が広がっています。長野盆地の手前にあるその斜面は、かつて真光寺の地滑り
があった所です。
 この一帯は、リンゴ畑として利用され、集落も点在します。長野オリンピックや浅川ダムに
も関連して造られた真光寺ループ橋は、浅川の難所をまたいで一気に高度を稼いでいます。
 辺りの地層は、海にたまった第三紀の浅川泥岩層からできています。約1000万年前と、
かなり古い時代の地層ですが、盆地西縁に沿った断層でもまれていたり、地下水の影響で、地
層は弱くなっています。
 そこに浅川の浸食が加わって斜面のバランスが失われ、地滑りが引き起こされたと考えられ
ます。水抜きボーリングなど対策工事のおかげで、今ではほとんど活動していないとのことで
す。
 昔から地滑り斜面は、地下水が豊富だったため、水田や畑地として利用され、その周辺に集
落ができ、生活の場となりました。
 しかし、ひとたび道路や建物などの開発が行われると、地滑り地の地下水の流れやデリケー
トなバランスが崩れてしまい、85(昭60)年7月26日の地附山地滑りのような大災害へと発展
することも私たちは経験しました。
 地附山の場合は、幅500m、長さ700m、厚さ30〜50m、土量が約500万立方mという大規
模なもので、26人の尊い命が奪われました。
 災害は、地質、地下水や地形などの自然現象を素因とし、人為的な要素も誘因になって起き
るとも考えられます。
 実際に、人為的な要素を改善することによって、被害を未然に防止できたり少なくすること
を、地滑り災害は教えているのです。

(地学団体研究会 長野支部 藤田和則・中部地質株)




ループ橋と、その下が地滑りのあった一帯(ブランド薬師側から)



「芋井の地滑り」軟らかい土とわき水

 長野市周辺、特に西山地区は地滑りが多い地域です。
 一帯はかつて海の底で、砂・泥や火山灰などが積み重なってできています。こうした軟らかい地層は地滑りを引き起こす条件を必然的に持っていました。
 しかも、大きな地殻変動を受け、急激に隆起してきたため、より地滑りが発生しやすくなっています。
 地滑りは現在では災害として迷惑がられる場合がほとんどですが、半面では、古くから人々の生活を支えてきた側面も持っています。
 まず、地滑りを起こした土地は、周囲に比べ地形がなだらかで、暮らすのに適しています。
また、土がかき混ぜられたり、軟らかくなったりして、生産性の高い豊かな土壌を提供してくれます。
 さらに、地滑りで生じた「すべり面」の部分は粘土質になり、水を通しにくい性質を持っています。そのため、水がたまりやすくなって、わき水に恵まれるのです。
 古代から人々は、山間地のこうした特有の性質を見つけ、自分たちの生活の場として利用してきました。西山地区の南向きの地滑り地は、古くから集落ができ、現在の集落へとつながっています。
 長野市芋井地区は、そうした地滑りと共存してきた地域の代表です。景観も素晴らしい棚田やリンゴ畑は、土地柄を有効に利用する方法なのです。
 芋井を象徴する国指定天然記念物の巨木「素桜神社の神代桜」は泉平にあり、地滑りをうまく避けて、安定した場所に植えられています。この古木は、芋井の人たちの長年にわたる土地との付き合いの証しとなっています。
 これからの防災を考える上で、芋井地区に見られるような地滑り地との上手な付き合い方は、大きなヒントになると思われます。自分の回りの大地を見直し、もっと上手な共生の仕方を学んでいく必要がありそうです。


(地学団体研究会 長野支部 田辺智隆・戸隠村地質化石館学芸員)


長野市湯山から望む芋井地区(中央の集落が泉平)



「隠 滝」高さ30メートル地滑りが原因

 長野市西部の芋井地区に滝があります。芋井小中学校から北々西約1kmの道路沿い
にある「隠滝不動尊入口」の石碑で車をとめ、そこから急な坂道を下ったところです。
この滝は達橋(たっぱし)沢にかかる滝で、隠れ滝と呼ばれています。高さ約30mで、
かつては扇型の幅の広い滝でしたが、最近では大きく二つに分かれた滝となっています。
 大地が水によって削られ、沢や谷ができます。ところが、大地をつくる岩石や地層の
中に固い部分と柔らかい部分があると削れ具合に差ができ、滝ができていきます。多く
の滝はこうした地層の固さの違いによってできるのですが、この隠れ滝の場合はちょっ
と違っています。この滝はどうしてできたのでしょうか。
 隠れ滝をつくっている崖の地層を観察すると、青灰色をした砂混じりの粘土がかたま
った地層であることがわかります。時には、貝の化石が見られ、海にたまった地層であ
ることがわかります。周辺もあるいてみると、ほとんどがこうした砂や泥でできた地層
がみられます。この地層はたいへん弱く、滝のすぐ下流も崩落防止のための工事が施さ
れていて、地盤の悪い所であることがわかります。
 じつは、この隠れ滝は普通の滝とは違って、地滑りによってできたと考えられま
す。隠れ滝の北西に軍足(ぐんだり)の集落があり、そこには集落を取り囲むような形
で、大きな地滑りがあります。幅約800m、長さ1kmにも及ぶ大きな地滑りが動いて、
達橋沢へ押し出したために沢をせき止めました。その後、地滑りのブロックである泥の
地層の上を水が流れるようになって、泥岩はそのまま残ってこの滝をつくったと思われ
ます。
 隠れ滝から軍足の集落へ上ってみると田んぼや池が広がっており、周囲には見られな
い風景が見られます。この田んぼが隠れ滝をつくった地滑りの跡地なのです。

(地学団体研究会 長野支部 田辺智隆  戸隠村地質化石館学芸員)


長野市芋井、隠れ滝



「舟 石」 飯綱山 火山活動で噴出

上水内郡牟礼村袖之山地区に「舟石」と呼ばれる石があります。下部は埋まっている
ものの、大きさは、およそ長さ9m、幅5m、高さ4.4mほどもあり、穏やかな起伏の
山間地にあって、異様に感じられるほどの巨石です。岩質は灰色の輝石安山岩で、大
きさ5mmほどの黒緑色の輝石と1〜2mmの斜長石の結晶が目立ちます。また、比較的ち
密な部分と穴が多く粗い部分とがあり、それらがぼんやりと縞模様をつくっています。
形はややいびつな舟形で、石の長軸はほぼ飯縄山の方向を指しています。このような
巨石がどうしてポツンと杉林のなかにあるのでしょうか。
 この巨石は岩質からみて、飯縄山の火山活動で噴出し、冷え固まった溶岩だと思わ
れます。ただし、溶岩流がここまで到達したのではなく、火山の山体が壊れ、ここま
で岩塊として運ばれてきたものです。飯縄山東方の鳥居川周辺地域には岩屑(がんせ
つ)なだれによる堆(たい)積物が広く分布しています。岩屑なだれというのは、水
蒸気爆発や地震などによって火山体の一部がなだれのように速い速度で崩れ落ちるも
ので、火山活動にともなった現象と考えられています。この「牟礼岩屑なだれ」は、
現在の飯縄山〜霊仙寺山ができる以前の、古い火山活動期の産物で、形成年代は数十
万年まえにもさかのぼると考えられます。
 舟石にはもう一つ面白い特徴があります。石の上面に細長く深い窪みがあり、そこ
に常に水がたたえられているのです。地元では、古くから眼病治療や安産などに効果
がある神霊水とされ、水を求めてたくさんの人々が昭和初期頃まで尋ねてきていたそ
うです。 舟石は、過去の激しい火山活動の証というだけでなく、水をたたえる窪み
の存在や、その窪みに影響している溶岩の構造など、興味深い特徴がみられ、おもし
ろい地学現象といえるでしょう。

(地学団体研究会 長野支部 富樫 均・長野県自然保護研究所)






(以上”GANN個人のホームページ→長野の大地みどころ100選”より)

飯縄山マップはこちらに引用してあります
飯縄山の生い立ちはこちらに引用してあります

飯縄権現トップ 飯縄山は戸隠龍脈の主山 皇足穂命 稲荷信仰について 飯縄十三誓願
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