餅鯛稲荷大明神  もちたいいなりだいみょうじん 「飯縄権現文献」



飯縄権現文献   (1) (2) (3) (4) (5)

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長野市特設サイト より)
飯縄大明神(飯縄権現、飯縄山、飯綱山)



長野市の北方に美しい裾野を広げてそびえる飯綱山は、古くから修験道の霊山として栄えてきた。
変幻自在の天狗・飯縄大明神は不動明王の化身ともされ、戦国武将から守護神として崇敬。
上杉謙信は兜の前立てに飯縄明神像を、武田信玄も甲州に勧請、持仏として身に付けていたという。

また、弘治3年(1557)に上杉方の葛山城を攻略した武田信玄は、代々飯縄大明神の神官・千日大夫(せんにちだゆう、たゆう、たいふ。太夫とも書く)に安堵状を与え、武田家の武運長久を祈らせた。
元亀元年(1570)には社領を寄進、天正8年(1580)には武田勝頼が朱印状をもって里宮の造営と遷宮を行っている。

一の鳥居からの南登山道には、13の石仏が登山者を見守るように建ち、中腹には千日大夫屋敷跡がある。
標高1,917mの山頂は360度のパノラマがひらけ、善光寺平を眼下に、眼前に戸隠連峰や黒姫山、遠くは北アルプスや志賀高原の山々を一望できる。
飯縄山の名は、山にこもった行者が山頂の砂(飯砂・「天狗の麦飯」とも言われる)を食べながら修行していたという伝説から、飯砂山、転じて飯縄山と言われるようになったという。




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岡澤由往先生の史跡解説

『広辞苑』や『日本国語大辞典』に「イズナは飯縄遣(いいづなつかい)の略語で、管狐(くがきつね)を使って術を行うこと。またはその人。
長野県飯縄山の神(飯縄権現・いいづなごんげん)からその法を授かったという」とある。
権現は仏が化身して、我が国の神として現れた神である(本地垂迹説・ほんじすいじゃくせつ)。
不動明王は大日如来が一切の悪魔を降伏するために憤怒の相を現した姿で現れる。
色黒く、眼を怒し、牙を咬み、右手に降魔(ごうま)の剣、左手に縛索(ばくさく)を持つ。
常に火炎の中にあって石上に坐す。不動尊ともいう。

飯縄権現は、上杉謙信の「飯縄権現前立甲(まえだてかぶと)」や上水内郡中条村常楽寺の本尊の姿で現れる。
それは管狐に乗り、右手に降魔の剣、左手に縛索を持ち、背に翼、火炎を負い、牙を咬む憤怒の相である。
石台と管狐、翼の有無の違いはあるが、飯縄大明神は、飯縄神信仰と不動尊信仰から生まれた習合神であることがわかる。
飯縄権現は、日本第三の天狗であるといわれ、謡曲「鞍馬天狗」に「飯縄の三郎」という天狗で登場する。

室町時代に「飯縄の法」は、殊に武士の信仰を集め、独自の発展を遂げ、飯縄山(標高1917m)は修験者の霊場になった。
修験者の元締めは、萩野城主伊藤豊前守忠縄(いとうぶぜんのかみただつな。
忠綱との説もある)の子孫、千日大夫といった。

飯縄山の北側に対峰する黒姫山(標高2053m)には、毒気を吐き、雲や雨を呼ぶ蝦蟇(がま)の法を学んで黒姫山に籠った忍術者、自雷也(じらいや)の話が伝えられている(草双紙『自雷也豪傑譚』)。
地雷也は飯縄の法を会得した修験者の一人であろうか…。





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飯縄山里宮(皇足穂命神社)

飯縄神社里宮は、武田信玄が元亀年間(1570〜1573)に創建したとされ、天正8年(1580)には武田勝頼が朱印状をもって造営と遷宮を行い、代々の神官・千日大夫(せんにちだゆう、たゆう。太夫とも書く)の冬季居所になったという。

もともと飯縄神社は、飯縄山山頂に天神大戸道尊を祭り、飯縄大明神と称したのが始まりとされ、 平安時代、学問行者が飯縄山に入山し、大日如来の尊容を拝したと言われる。

 

鎌倉時代には、水内郡の地頭伊藤兵部大輔兼豊前守忠縄(忠綱)が、飯縄大明神のお告げにより入山し山頂に飯縄大権現を勧請。その子、盛縄(盛綱)は飯縄の法を受継いで自らを「千日大夫」と称し、忍法の祖となり飯縄信仰を全国に広めた。

室町時代、足利義満が、幼少期に飯縄大明神の加護を受け、のち征夷大将軍になったことから、紫金仏の地蔵菩薩像を寄進。その後も武田信玄や上杉謙信らをはじめ、多くの戦国武将から厚く信仰された。





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岡澤先生の史跡解説

飯縄山里宮は、明治4年(1871)皇足穂命(すめたりほのみこと)神社と改称した(旧郷社)。奥社は飯縄山頂にある。里宮は長野市芋井荒安(いもいあらやす)の飯縄明神の別当(神主)、仁科(にしな)氏屋敷跡にある。

明治9年(1876)、県に提出した芋井村の上申書に「飯砂山は保食神(うけもちのかみ)の降跡にて、一山全体をもって神明と崇め奉り、水内郡萩野(はぎの)城伊藤豊前守忠縄(いとうぶぜんのかみただつな、忠綱との説もある)、飯縄明神の告げにより天福元年(1233)山頂に幣座(へいざ)を構え、断食して奉仕につとめ、遂に神通自在を会得して、応永7年(1400)卒す。その子次郎盛縄、長寿して奇験あり」と記している。荻野城の麓にある中条村大久保の飯縄神社は、忠縄が飯縄の法を修めた発祥の地という。

信玄は、弘治3年(1557)2月に葛山を攻略し、飯縄山一帯を勢力圏にした。3月28日、信玄は「飯縄山のこと、父豊前守のごとく、相違あるべからず候。しからば、武運長久の祈念、怠るべからず候」と千日大夫に安堵状を与えている。このように飯縄明神社の別当は、千日大夫を襲名した。その後、天正6年(1578)、武田勝頼は千日大夫の養孫に「仁科甚十郎」の名を与えている。これ以後、飯縄明神社の別当は、仁科甚十郎を襲名したが、この名はまだ定着しなかったらしく、武田家滅亡の後、川中島は上杉景勝領となり、国人領主は帰郷した。天正12年(1589)、芋川親正(いもかわ・ちかまさ)は千日大夫に、小島田の内、飯縄領を前々のように寄進している。芋川氏は広田氏の宗家で、飯綱町芋川に移り、芋川氏を継承した。






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