|
|
「神道無念流」を修した福井嘉平は、剣の奥義を究めるため諸国を巡歴し、最後に飯綱山に五十日間籠もった。このとき嘉平の前に老翁が現れ剣の奥義を伝授したのだという。この老翁こそが飯縄大明神で、神道無念流はここから名付けられ、この神を流祖としたのである。嘉平は1789年に没したが、愛弟子の戸賀崎熊太郎(1744〜1809)がこの剣法を継いだ。この熊太郎が江戸に「戸賀崎道場」を開き、以後戸賀崎の名は五代続く。この流派は指導者にも恵まれ、剣のみならず知的にも人格的にも優れた人材を多く輩出した。
さらに神道無念流は幕末にも栄え、画家の渡辺崋山、水戸藩士・藤田東湖、武田耕雲斎、長州藩士・高杉晋作(柳生新陰流でも有名)、若干21歳で神道無念流免許皆伝を受けた桂小五郎(木戸孝允)、新撰組の永倉新八、芹沢鴨、新見錦、平山五郎、平間重助ら、敵味方とり混ぜた錚々たる人物が名を連ねている。
飯綱山山頂近くの飯縄奥社社殿の隅にひっそりと置かれた絵馬(写真:平成11年7月奉納)。それは今なお精進錬磨を重ねながら「神道無念流」を継承する剣士達の飯縄神への誓文であった。 |