(”南アルプス市”より)
飯縄権現図

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(”南アルプス市”より)
飯縄権現信仰は北信州飯縄山に対する山岳信仰として知られている。室町時代武州高尾山に入山した俊源大徳が修行の結果、一夜の霊夢によって飯縄権現を感得し、その像を刻み一山の守護神として山頂に勧請したことにより、関東一円に広がったと言われている。本図は作者、伝承等は不詳であるが、江戸初期の作品だと考えられる。
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(”迦楼羅王探究”より引用)
飯縄大権現

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(”迦楼羅王探究”より)
飯縄(いずな)といえば信州の飯綱(いいずな)山や戸隠山を連想するが、戸隠連峰の飯縄信仰はわずかに飯綱山頂にその礎石と小さな祠が残るだけだという。現在では八王子の高尾山に信仰の拠点が移っている。高尾山史によると『南北朝時代に京都醍醐の俊源が入山し、不動明王を勧請して護摩供秘法を行い、飯縄権現を感得した』とある。 |
(”戸隠神社”より引用)
飯綱明神御神像

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(”戸隠神社”より引用)
『戸隠山顕光寺流記』(室町時代)にも、飯綱大明神は、「吾はこれ日本第3の天狗なり。願はくは此の山の傍に侍して権現の慈風に当り、3熱の苦を脱するを得ば、すべからく仁祠の玉台に列して当山の鎮守となるべし』とあり戸隠の鎮守とされていたと記されております。
鎌倉時代に戸隠山においてはじまったといわれる「柱松の神事」でも、3本の柱松の内中央に戸隠権現、左に飯綱権現、右に白山権現を模した松を建てて神事を行ったとされております。 この「飯綱明神御神像」は、江戸時代の神宝帳に記されているなかの1体です。古くから戸隠神社に所蔵・安置されて信仰の対象になってきたものであることがわかります。 「日本第3の天狗」といわれる飯綱の神は、そのつかいである白い狐に乗っております。
神像は、桧材・寄木造 像高(43cm) 肩張(16cm)
で、烏天狗の相をしております。彩色もなされております。 |
(”本地垂迹資料便覧”より)
飯縄権本地不動
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(”本地垂迹資料便覧”より)
信濃国水内郡 飯縄山大明神略縁起 抑、飯縄大明神と称し奉るは、天神第五偶生の御神大戸之道尊を斎祭り奉り、御本地は大日如来にして、即不動明王の変相に渡せ給ひ、火防随一の御神徳世に著し。或は衆生済度の為に地蔵菩薩と現じ、武門擁護の為には勝軍地蔵と示現ましまして、其冥感測るべからず。畢者人王十六代応神天皇の御宇、当山に跡を垂れ給ひてより、五十四代仁明天皇の御宇迄は世の人猥に登山する事を得ざりしとなん。嘉祥元年辰の三月、学問行者といへる聖ありて、此山に登らんと神仏に祈誓し、遂に山頂に到り、親しく尊容を拝し奉りしと云々。
飯縄社の本地仏であった地蔵菩薩には「応安二年(1369)千日太夫」の銘がある。「千日太夫」は飯縄神主(先達)の代々の通称であったが、おそらく飯縄山で千日の行をして神主職についたことがこの通称の由来であろう。
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