| (”ねえ、どこか行こうよ→鎌倉歴史散策・江の島編”より) |
実はその頃の弁財天は弁才天で荼吉尼天とも同一視されていた節があるの。頼朝が寄進したと云われる八臂の弁才天像が辺津宮の奉安殿に祀られているんだけど、それを裏付けるような像容なの。弁才天信仰が庶民の中に広まるとその現世利益的な側面が強調されて福運の最たるものとして金銀財宝が持ち出され、弁才天は弁財天として更にパワーアップするのですが、弁才天は金銀を纏う前、弁財天は財宝を手にしてからね。 |
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| ところで荼吉尼天?何なのよ、それ〜と云う方に。その前に弁才天の生い立ちも併せて御紹介してみますね。なので少し長くなってしまいますがよろしくおつき合い下さいね。そんなの、どうだっていいじゃんかよ〜と云う方は読み飛ばして下さいね。 |
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| 弁才天は古代インド神話ではサラスバティー Sarasvati と呼ばれ、元々はサラスバティー河を神格化したものなの。saras は水を指し、sarasvati は水の流れの美しい様子を表しているの。河の流れの妙なる水音は人々を心豊かにすることから福徳を齎す女神となり、穀物の豊作を齎す豊穣の女神ともなるの。やがてそのサラスバティーが同じ女神で智慧を司るヴァーチュ Vac とも習合し、河のせせらぎが弁舌にも繋がるの。そのサラスバティーが仏教に取り入れられて弁才天となり、そこでは川のせせらぎに代えて胡を抱え、日本に伝えられると琵琶を持つようになったの。 |
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| と云うことで本来の弁才天は二臂だったのですが女神と云うことから日本人には殊の他好まれたみたいね(笑)。日本神話でも天照大神は絶対神として崇敬され、邪馬台国の卑弥呼にしても巫女よね。天皇の後継をめぐり女帝云々が話題の昨今ですが推古天皇も持統天皇も女帝で、往古には普通のことだったの。鎌倉時代には聖母信仰なども隆盛し、決して男尊女卑ではなかったの。悲しいことに、女神の弁才天を祀りあげたのが仏教なら女性を穢れた存在として忌み嫌ったのも仏教で、かの有名な弘法大師も女性を遠ざけた一人なの。そうして男尊女卑を更に決定付けたのが封建制度ね。話しが横道に逸れましたが日本人の間には女性崇拝の宗教的な風土があり、女神の存在は日本人には容易に受け入れられたと云うわけね。 |
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| 男性的な像容の仏像が多い中で女神像の存在は人々に親近感を以て迎えられ、同じく女神として脚光を浴びたのが荼吉尼天。彼女もまた古代インド神話では自在の神通力を持つダーキニー神と呼ばれ、人間の生死を半年前に見抜いてその心臓を喰らう鬼女だったの。後に大黒天との闘いに敗れた彼女はその眷属となり、仏教の守護神となるのですが、持ち前の神通力は衰えることを知らず大いに利用されたの。日本ではその荼吉尼天の神使が狐とされたことから稲荷神とも習合するのですが、同じ女神と云うことから弁才天にも習合したの。 |
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| 一方、田植えの時期になると現れる蛇は田畑を潤し豊穣を齎す神の化身として古来より崇められていたのですが宇賀神とも習合したの。宇賀神はその名から連想されるように稲荷神の宇迦之御魂神うかのみたまのかみと同一視されてもいたの。宇迦之御魂神は食物を司る神でもあり、豊作を祈願する農耕の神でもあったの。蛇の水神信仰と結び付いた宇賀神は人面蛇身となると、やがて鎌倉時代に隆盛する弁才天信仰に習合していくの。 |
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| 江の島弁才天に恋心を寄せた五頭龍にしても対岸の腰越に棲んでいたとされますが元々は深澤の湖に潜んでいたみたい。深澤は現在の長谷辺りで銭洗弁天のある佐助ガ谷とは隣り合わせよね。その銭洗弁天は宇賀神と弁才天が習合して現在に至るわけですが、元々は宇賀神が祀られていたの。その宇賀神は人面龍身ですので五頭龍は宇賀神そのものだったのかも知れませんね。逸話は佐助ガ谷の宇賀神が江の島弁才天と習合する過程を説話化したものと受け取れないこともないわね。 |
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そうして弁才天は荼吉尼天や宇賀神のパワーを引き継ぐとその像容も二臂から八臂などに変身したの。優雅に琵琶を奏でて妙音を発するだけでは許して貰えなくなってしまったと云うわけね。八臂となった弁才天は弓箭や刀剣などの武器も持たされるようになるの。そうは云っても本来は悪心邪気を退治するためのもので戦闘をするためのものではないのですが、弁才天が寺院の守護神として祀られることもあり、時と場合によっては実力行使をする戦闘神と考えられてもいたみたい。その時は荼吉尼天から引き継いだ神通力がものを云うのでしょうね。因みに太平記の清氏叛逆事付相摸守子息元服事の段には荼吉尼天の前で室町幕府第二代将軍・足利義詮を呪詛したことが記されているの。
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