餅鯛稲荷大明神  もちたいいなりだいみょうじん 「稲荷御祭神の文献」


稲荷御祭神の文献
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宇迦之御魂大神 大宮能売大神 猿田彦大神 宇賀神 荼吉尼天 弁財天
御神像の御姿いろいろ お稲荷さんとおキツネさん お稲荷さんはなぜ朱塗り




(”suzukahiking・ヤマイヌ・「稲荷神とダキニ天」”より)
「稲荷神とダキニ天」
稲荷神
稲荷信仰はもともと稲荷山あるいは伊奈利山と呼ばれた山に対する信仰を始まりとするのですが、山の信仰というのは曲者で、山が大きければそのふもとも広大になり、利害の一致しない種々の集団が分かれて住むことも可能になります。平野にある小さな独立峰であれば回り巡って元の場所に戻ってくることもでき、ふもと間の往き来も簡単で、いわゆる「カンナビ山」と呼ばれる信仰が生まれやすいでしょうが、すこしでも山すそが長いとなれば、その山ゆえにふもとに住む集団の往き来は阻害されます。表と裏のふたつの集団に別れ、山の呼び名さえ異なって、確実にふたつの信仰集団が生まれてしまいます。「伏見稲荷神社」の成立起源に諸説あり、その始まりの年に二種類の説があるのも同じ理由と考えられます。

「伊奈利山」と呼んでいた秦氏の「伊奈利」信仰は「大和国風土記」逸文、つまり「稲荷大明神縁起」をもとに語られ、そこに書かれた「和銅四年(711年)」という年を始まりとしています。「稲荷山」と呼んでいた荷田氏の「稲荷」信仰は、真言密教、東寺の「稲荷明神流記」に基づく「弘仁十四年(823年)」を始まりとします。これは空海が東寺と関係した最初の年ですが、最終的にふたつの信仰が空海によって強引にまとめられたと考えれば、「伊奈利と稲荷」の語の違いや創始の年の問題などが簡単に説明できます。「六国史」の天長四年(827年)に「稲荷神、稲荷神社」の名が現れたときは、すでに合体した後です。

空海が東寺および稲荷山と関わったのは、高野山開山のすぐ後のことなのですが、初期の弘法大師の伝記には稲荷神のことがまったく書かれていません。鎌倉中期以降になってようやく空海と稲荷神遭遇の伝承が作られた程度ですから、種々の伝承をつくったのは空海自身ではなく空海以後の真言密教です。その伝承での「稲荷神」は、高野開山伝承の狩場明神の姿によく似た「赤顔の老翁」で、稲を担ぎ二人の女と二人の子を連れています。

稲荷山も熊野や白山などと同じ三山形式で、一ノ峰、ニノ峰、三ノ峰があり、まとめて「稲荷大明神」とか「稲荷神社三座」とか呼ばれていましたが、のちに麓に三神を祀る下社が造られ、その後、上社と中社も加えられ「稲荷三箇所大明神」となったようです。さらに、ふもとに「田中大神」と「四大神」の二社が加えられ「稲荷五社明神」となり、現在と同じ形になっています。ですから、田中大神と四大神は山上にはないことになります。上・中・下の社に当てられる祭神は、いろいろな説があります。

伏見稲荷 祭神いろいろ
上社 中社 下社
「稲荷明神流記」
(本地)
稲荷明神(上御前)
(十一面観音)
中御前
(千手観音)
大多羅之女(下)
(如意輪観音)
「二十二社註式」 猿田彦命 倉稲魂命 大宮女宮命
「神号伝」秦氏 イザナミ 瓊々杵尊 岩倉稲姫魂命
「稲荷社由緒注進状」
(同上の異説)荷田氏
級長戸辺命(三社)
(大巳貴命)
級長津彦命(二社)
(稚産靈神)
倉稲魂命(一社)
(保食神)
神社「明細図書」 大宮賈大神 佐田彦大神 宇迦之御魂大神
(P,102)「古代信仰研究」近藤喜博著

いわゆる「稲荷神」と言われるのは稲荷明神はとうぜんとして、上記の表では倉稲魂命、岩倉稲姫魂命、保食神、宇迦之御魂大神です。地方の神社においては、そのほかに「稚産霊」「豊宇気都比売神」「大気都比売神」「御膳神」「御食持命」「三狐神」、蛇の「宇賀神」などの穀物神、五穀豊穣の神々が稲荷神とされることがよくあります。
現在の伏見稲荷の五社形式の祭神に、本地仏を当て嵌めれば、宇迦之御魂大神が十一面観音、大宮賈大神が如意輪観音、佐田彦大神が千手観音、そして田中大神が不動明王、四大神が毘沙門天となるようです。


キツネに関係する「命婦社」は上記に挙げませんでしたが、命婦社は下社にあるとか、上社がそうだとか時代により諸説があり、中社がそうだとも言います。今は摂社とされ、五社には含まれません。命婦の本地は文殊菩薩とされていました。
「命婦社」の名は1200年代になりますと頻出してきますが、その命婦社が最初からキツネに関係していたかどうかまではわかりません。「後三條天皇(1070年ころ)当社行幸ノ砌、当社附属ノ老狐ニ食封トシテ命婦ノ禄ヲ給ワル」と書かれたものは存在しますが、信用が置けるものはもう少し時代が下がります。


「命婦(みょうぶ)」とは宮廷の五位の女官のことで、いつのまにかキツネのことを指すようになり「専女(とうめ)」とか「白専女」などとも言います。「命婦社」の祭神がキツネだとすれば簡単ですが、「命婦社」は牡キツネ(小芋・オススキ)と牝キツネ(阿小町)を使者とするとか、あるいは「黒鳥」と「小薄」という中社の摂社がキツネを祀るとも、稲荷神(宇迦之御魂大神)の神体がキツネ(白晨狐王菩薩)だという見方もあります。ただし、近世には稲荷神の使者としてのキツネという考えが確定しています。現在の「命婦社」は「命婦専女神」を祀っていますが、その神の実体がキツネなのか、そこの神が稲荷神に神使としてキツネを提供するのか、実体はわかりません。
参考までに稲荷社の「稲荷鎮座由来」。「龍頭太事」は、もともとの稲荷信仰を伝えていた荷田氏のこととともにヘビの由来を語っていると言われています。キツネの由来を語るのは「命婦事」です。


稲荷の縁起 流記
「龍頭太事」或記云。
龍頭太ハ。和銅年中ヨリ以来タ既ニ百年ニ及ブマデ。当山麓ニイホリヲ結テ。昼ハ田ヲ耕シ。夜ハ薪ヲトルヲ業トス。其ノ面龍ノ如シ。顔ノ上ニ光アリテ。夜ヲ照ス事昼に似リ。人是ヲ龍頭太ト名ク。其ノ姓ヲ荷田氏ト云フ。稲ヲ荷ケル故ナリ。・・・(P.167)


「命婦事」或記云。
昔洛陽城ノ北、船岡山ノ辺ニ老狐 夫婦デ有リ。夫ハ身ノ毛白クシテ、銀ノ針ヲナラベ立テルガ如シ。・・・弘仁年中ノ比。両狐五ノ子ヲ伴テ。稲荷山ニ参テ。・・・今ヨリ長ク当社ノ仕者トナリテ。参詣ノ人信仰ノ輩ヲ扶ケ憐ベシ。・・・
夫ハ上ノ宮ニ仕マツルベシ。其ノ名ヲ小芋トツクベキナリ。婦ハ下宮ニ條スベシ。其ノ名ヲバ阿古町トイハントノタマフ。・・・(P.168)


熊野詣と稲荷
「熊野詣」には、参詣終了後に道中の守護神である「護法」を送り返す儀式が古くから定められています。「諸山縁起」は鎌倉時代のものです。

護法送りの次第。先づ、諸天勧請の印咒を満たす。合掌して、二大指を竪てて招くなり。オン ロキヤロキヤ ラヤエイケイキ ソハカ。(P.108)「諸山縁起」

この「護法送り」は伏見稲荷において行われますが、なぜ伏見稲荷かと言えば「熊野権現(慈悲大顕王)」の家臣であるのが「雅顕長者」、その弟の「長寛長者」の垂迹したものが伏見の稲荷大明神であり、この兄弟が熊野詣の人々を守護するというのがその理由とされます。「雅顕長者」が垂迹したものは熊野十二所権現のひとつ「勧請十五所」です。この儀式に有名な「キツネ」はいないようです。

伏見稲荷での護法送りは、諸天勧請の印呪、施餓鬼の印呪、移散、五如来の名号、般若心経、大日如来の真言、縁生起偈、十二因縁、六波羅蜜、三昧耶印明、廻向をし、一度清衣を着たうえで常衣を着するという内容の次第である。(P.82)「熊野修験」宮家準著

稲荷神社に関わる護法といっても未だ「長者」とよばれるだけの護法で、キツネが伏見稲荷の護法と呼ばれるのはもう少し遅れます。
熊野と天台宗寺門派(本山派修験)との確実な関わりは、増誉が初代熊野三山検校になった1090年からで、それ以来、熊野詣の先達は、天台宗寺門派(聖護院)が請け負いましたから、真言密教と関わり深い伏見稲荷がここに登場するのは極めてわかりにくい形です。ただし六代と七代の熊野三山検校を努めた長厳と定豪は、真言宗(東寺)と関わりの深い僧です。
天台宗の円珍(智証大師、815-891)の伝承として、次のようなものが作られています。(ただし同じような伝承は真言宗の空海伝承にも存在します。)


熊野参詣の帰り道、稲羽の里で稲束を持つ翁と二人の女に出会うが、それらは伏見稲荷の上、中・下社の神であった。

ここに「熊野参詣の帰り道」とあることが、熊野詣の「護法送り」との関連を示唆します。この話は、もちろん円珍の後の時代に作られたものですが、天台宗寺門派にはこのような創作をしなければならない事情があったのでしょう。その証拠に熊野には稲荷と関わる社がいくつかあり、先の円珍伝承による稲羽の里、熊野九十九王子のひとつ「稲葉根王子」はとうぜん稲荷で、熊野川の河口にある飛鳥宮が祀るのも稲荷(三狐神)、熊野の奥院と言われる玉置神社がまつるのも稲荷(三狐神)です。この玉置神社は伏見稲荷よりも先に存在したとも言われます。三狐神という文字を使っているくらいですから、キツネに関してだけは熊野のほうが早かったのかもしれません。熊野のキツネが伏見に移ったとも考えられます。伊勢神宮もキツネとは早くから関係していますから、伏見のキツネは伊勢神宮のキツネかもしれません。

稲荷神はとにかく強力で、各地の穀物神をすべて稲荷神に習合させていますので、熊野でも同じように熊野詣を契機とし、熊野にあった穀物神(三狐神)の信仰が伏見の稲荷神に習合させられたと考えるのが妥当かもしれません。そこには互いに補完する部分もあったかもしれません。

豊川稲荷
真言密教は、荼枳尼天(ダキニテン)を「白晨狐王菩薩」と同じもので「稲荷神」であるとし、白い狐にまたがる剣と宝珠を持つ天女として表現しています。キツネと一体となった荼枳尼天は、主として東寺を中心とする真言宗によって世間に広められましたので、真言密教、荼枳尼天、狐、稲荷社は不可分の関係です。

ところでキツネ神社(寺)を、神社、寺ごとに分けることがありますが、これは明治以前の神仏習合の無理解から来ているあやまった分け方とも思われます。
江戸時代の神社、寺、修験は、不可分で、教義もその活動も独立したものではありませんでした。そして、明治の神仏分離に際し、三者が共存していた寺社の多くは、なんとか寺として存続できるように努力しています。例えば、豊川稲荷はむかしから寺であったと主張し運良く認められましたが、一方、秋葉山秋葉寺はいろいろ証拠を提出しましたが認められず、結局、神社とされました。このように、今ある多くの「寺」は、神仏分離の際、神社にされる運命をあやうく免れたものと言えます。


ですから、現在、寺は勿論、神社にキツネがいるということは、それらがむかし密教に関わっていたことの証しで、多くの場合は真言密教(修験道当山派)が存在していたのでしょうし、同じように荼枳尼天を祀る天台密教(本山派修験)が関わった場合もあったかもしれません。天台の山門派ではこのダキニ天の修法は比叡山の黒谷の僧、「渓嵐集葉集」を書いた光宗の一派にだけ伝えられると言われます。

豊川稲荷(妙厳寺)の荼枳尼天(稲荷)の由来は、寒厳禅師(義尹)が伝えた荼枳尼天像です。義尹は天台僧ですが、宋からの帰りの海路で海上で荼枳尼天を感得し、その像を手彫りしたと言われています。豊川稲荷(妙厳寺)の開祖である東海義易(1412-1497)は、この義尹の法系でしたから、荼枳尼天像が伝えられ、豊川稲荷(妙厳寺)に祀られたということです。
ただし、東海義易は、八幡山歓喜院という寺を再興しているのですが、この歓喜院はなぜか真言宗で、義易はこの寺に二年のあいだ滞在し再興に力を尽くしたと言われています。この真言宗・歓喜院との関係のほうが、豊川稲荷の由来には相応しそうです。


ところで、秋葉山秋葉寺の三尺坊大権現の姿は、狐に乗っている天女(荼枳尼)でなく、狐に乗った烏天狗(カラステング)です。これは、密教のダキニの姿から、更に発展させられた形なのかもしれません。「狐にのった烏天狗」は、呪法色が強く「天狗修験道」とも呼ばれる戸隠山系の飯綱大権現と同じ姿で、この飯綱修験道の流れを汲むのが秋葉山のキツネのようです。しかし、秋葉山の三尺坊は新潟県・栃尾の楡原からやってきたという話も存在します。

楡原は、信仰文化の中心地であり・・・その塔頭のひとつにいた三尺坊が・・・静岡の秋葉山にカルラの姿で現われ、不動三昧法を修し、・・・。現に楡原の曹洞宗常安寺が三尺坊の遺跡とされている。(P.12)「修験道と地域社会」(名著出版1981)

栃尾の楡原は蔵王(御嶽)信仰の土地です。蔵王信仰は天台宗と真言宗の両派に関わっていますから、この場合、単純に真言密教だけとの関わりとは言えないかもしれません。
ところで、真言宗と一口に言ってもその法流はいくつにも分かれていて、一心同体といえる状況ではありません。中世から近世まで、真言密教の山・高野山においても、学侶、行人、聖方が三者に分かれて抗争をしていますし、高野山と東寺とのあいだでも争いは継続していましたし、高野山から追い出された覚鑁から新義真言宗が生まれるといった具合で、山門派と寺門派で抗争を繰り返した天台宗とそれほど変わったところはありません。



荼枳尼天 左手覆掩口。以舌觸掌。
インドのシヴァ神の妃・パールヴァティーの化身の一つ、カーリー女神(黒き女神)の従者だった「ダキニ」は、むかし生きた人の肝や肉を食うヒンズーの魔神でした。しかし、釈迦から生者の肉を食うことを禁止され、死肉だけを食べるようさせられます。すると今度は一転して、半年前に人の死を予期するとか、ダキニに自分の肝を捧げる約束をすると、ダキニが願いを叶えてくれるなどと言われるようになります。
加持祈祷を得意とする密教には、荼枳尼(ダキニ)が願いをかなえるということに由来する「荼枳尼天法」という術が存在し、真言密教にも天台密教にもあります。
その真言は次のようです。


オン キリカ ソワカ オン ダキニ ギャチ ギャカネイエイ ソワカ
(P.211)
「天台密教の本」(学習研究社1998)

大日經第四。説 荼枳尼印眞言。眞言云 頡履二合訶。疏第十四釋 印言 云。次舒 左手 覆 掩口。以舌觸掌。即荼枳尼也。(P.154)「寂照堂谷響集第九」

「大日本佛教全書」(佛書刊行會・大正元年)

豊川稲荷では、上記の真言とも異なるもので、次のような真言を二十一回唱えると、功徳を得ることができるとされています。

オンシラバツタニリウンソワカ (P.35)
「実録豊川いなり物語」安井四郎著(東京経済1986)

最後に、有名な伏見稲荷の真言です。
「ダギニ バザラ ダトバン、右掌を左肩に伏、ダキニ アビラ ウンケン、合掌、オン キリカク ソワカ」。
荼枳尼天(ダキニテン)の真言や印は、密教の種々の法で使われるのをはじめ、陰陽道などでも見られ、伊勢神宮においてもその痕跡は明らかですから、その影響は広範囲に及んでいます。


キツネ
キツネを使者とするのは、諏訪社も同じです。
狐ヲ以テ使者トスル事、稲荷、諏訪二社ニ於テ、霊異ヲ称スル事佗ニ異ナリ。・・・國記ニ又、佗天ノ法ト云事アリ。佗天モ貴狐也ト云リ。荼吉尼ノ法トハ、俗ニ謂ル飯繩権現、是也。





宇迦之御魂大神 大宮能売大神 猿田彦大神 宇賀神 荼吉尼天 弁財天
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